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男たちの南国物語 VO.35 初めてのソンクラーン(水掛け祭り)―パタヤ生活編

投稿日:2017年11月27日 更新日:

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ギラギラと眩しい南国の太陽が一段と突き刺すように降り注ぐ、うだるような灼熱のシーズンがやってきた。毎日40度近い猛暑日が続くタイで最も暑くなる時期で、暑季というやつらしい。温暖で気候的にも過ごしやすいハイシーズンが終わり、幾分ひと気の少なくなったローシーズンに入ると、熱帯地方の本格的な暑さと共に、タイの伝統行事ソンクラーン(水掛け祭り)の季節が到来した。

タイの旧正月のことらしく、この期間タイ人たちは其々の田舎に帰り、家族たちと一緒に過ごすというのが慣例のようだ。豊作を祈願する雨乞いの意味を込めた水掛け祭りがタイ各地で行われる。タイの祝祭日となる4月13~15日の三日間が一応の指定期間とされているようだが、パタヤでは初日から一週間ほど延々と水掛け祭りが続くらしい。その名の通り期間中は街に出ればタイ人たちから水を掛けられ続ける。外国人だろうが昼でも夜でもお構いなしだ。

そんな話を聞いて、僕はウキウキと遠足を待つ子供のように想像を膨らませたが、滞在歴の長いリュウさんは毎年お馴染みの嫌なシーズンがやってきたとウンザリ飽きている様子だった。滞在当初はリュウさんもタイ人に混じって水掛け祭りに興じていたようだが、それも初めのうちだけで、今ではソンクラーン時期に入る前に食料など色々とスーパーで買出して、その期間は外出を控えるようにしているらしい。

ちょうど三度目の失業保険の支給日が迫っていた僕は、日本に戻り給付金を手にすると即タイに帰還するという、最短3日のスケジュールでトンボ返りするようにタイへと舞い戻ってきた。最後となる失業保険の支給も終わり、僕はもうしばらくは日本には戻れない、タイで骨を埋めるぐらいの覚悟を抱くことになった。

いよいよソンクラーンを翌日に控えた前夜のことだった。夕暮れ時の早い時間にニックから誘いの連絡があり、彼の住まいがあるホリデイホテルに足を向けると、半袖半パンにサンダル姿とラフな恰好をしたニックとネンの二人がホテルのロビーで我々を待ち構えていた。二人揃って満面の笑みで水泳用のゴーグルを頭に装着スタンバイさせ、マシンガンみたいに大きな水鉄砲を小脇に抱えている。

「ソンクラーンは明日からだよ。気が早いよ!」と苦笑いしながら突っ込むリュウさんに対して、「ジョージの話だとバービアではちょこちょこ始まっているらしいんだよ」とやる気満々のニック。それから僕らはソイ7、8周辺のバービア街へと繰り出した。祭り前日にも関わらず、勢い余って水掛け遊びをスタートさせている店を探すように通りを練り歩く。すでに店前の道路を水浸しにしていたバービア店に足を向けると、すぐにテンション高く盛り上がっていた一団にバケツ一杯の水を掛けられ、あっという間に衣服はびしょ濡れになってしまった。

「うぉーっ!!冷てぇーーっ!!」

冷水どころか、明らかに氷水の冷たさであった。店の軒先に置かれていた特大サイズのポリバケツを覗き込むと、数十リットル程の大量の水がなみなみと注がれ、乱雑に砕かれた大きな氷の塊がプカプカと浮かんでいる。バーで働く女性たち、そこにいた客たちも皆すでに全身ずぶ濡れ状態で、店内から鳴り響くいつも以上に大音量のダンスミュージックに身体を揺らし、まさに乱痴気騒ぎといった様相である。猛暑の季節とはいえ、幾らか冷えた夜の空気の中で浴びせられる冷水はすぐに身体の体温を奪い、ぶるぶると全身を震わせる程だった。

ひとしきり水を掛けられた後、店内に足を踏み入れると、寒気を吹き飛ばすためにウイスキーコークを濃いめで注文する。一気に飲み干し、酔いで身体を火照らせるよう仕向ける。最早酔いどれのバーレディたちは皆タイウイスキーや、ヤドンと呼ばれる赤い色をした薬草酒をショットグラスで煽り、意気揚々と踊り狂い、通りを闊歩する人々に向けハイテンションな水掛けバトルを仕掛けるばかりだ。

その異様な熱気に初めは呆気に取られていた僕だったが、アルコールが体内に回るとすぐにご機嫌になり、そのうち仲間に加わるように水掛け遊びに参加した。「ハッピーソンクラーン!」とか「サワディーピーマイ!(新年おめでとう)」などと声を掛け合い、ただただ水を掛け合うだけという単純な祭りであるが、底抜けに陽気なタイ人たちの輪の中に入ると、童心に返ったような気持ちになった。

深夜になり、バービア群での水掛け遊びがようやくお開きになる頃、宿に戻った。長時間に渡り浴び続けた大量の水のせいで体温はすっかり奪われ身体中の皮膚がふやけている。こんなことはいつ以来だろうか。小中高時代に雨の中サッカーをした日の帰宅時のような感覚だ。これが日本なら熱い風呂にでも浸かって身体を芯から暖めるということになるのだろうが、いかんせん、僕が滞在している定宿の部屋は水シャワーしかなく、それは水掛け遊びの仕上げのようであった。

それから本格的にソンクラーン期間に突入すると、僕らはニックに誘われるがまま、昼間からジョージのバーに集合しては、終日水掛け祭りに興じる日々を過ごした。田舎から出てきたばかりのネンはパタヤのソンクラーンが見せる異様な盛り上がりに驚いた様子で、初体験のニック同様に飽きることなく水遊びに明け暮れていた。一方、バンコクっ子のエルは祭りにさほど興味がないのか、連日僕に付き添ってはくれたが、それは僕らを暖かく見守るような態度だった。リュウさんは常に店内奥の席に避難するように陣取り、なるべく水を掛けられないように終始気を配りながら、ちびちび酒を呑んでいた。

そして、一週間に渡ってだらだらと続いたパタヤの水掛け祭りもようやく幕を閉じた。連日、真昼間から半裸姿で街中をうろついていた僕の顔や肌はすっかり小麦色以上の黒褐色に変化し、エルから「タイ人みたい…」とからかわれることになった。

それから程なくして、久しぶりにデニーさんから連絡があった。リュウさんに呼び出されて向かった先は、セントラルパタヤにあるパタヤメモリアル病院だった。デニーさんが入院しているという話を聞き、何か事故にでも遭ったのかと心配したが、それもつかの間の杞憂に終わった。受付で教えてもらった病室に足を向けると、元気そうにリュウさんと談笑するデニーさんの姿があった。リュウさんは部屋の壁際に置かれたソファー席に腰を下ろしている。広々とした病室の中央に手動式の医療ベッドがぽつんと配置され、患者衣姿のデニーさんはベッドの上で半身を起こして座っていた。

すかさずデニーさんに挨拶し、彼の傍まで歩み寄ろうとすると、「それ以上、ボクに近寄らないほうがいいヨ!キミもうつるかもしれないカラ…」とデニーさんは手を振り僕を制するように告げた。数メートル離れた距離から見ても、デニーさんの両目は赤く充血し、その周辺が少し腫れているのが分かった。彼の入院の経緯は可笑しなものだった。

何でもデニーさんはソンクラーン期間中、水掛け祭りを嫌ってホテルで大人しく過ごすことが多かったようだ。どんな水かも分からない、ばい菌が入ってるかも知れない、汚い水を顔や身体に掛けられるのは勘弁ならないというハイソなデニーさんらしい理由だった。それで暇潰しがてらホテル近くのタイ古式マッサージに頻繁に足を運んでいたらしいが、そこでマッサージ嬢にうつされてしまったのか、モノモライを発症してしまったようだ。

デニーさんがいた病室はエアコンやテレビ、冷蔵庫等が完備された広々とした個室でホテルのようだった。医療費に食事代、部屋代など諸々で一日3,000バーツ以上も支払っているらしい。僕らが見舞いに訪れた時、デニーさんは入院してすでに三日が経過していた。それにしても、たかがモノモライ如きで入院するなんて、なんて大げさな人なんだ。と思ったが、デニーさんはタイという熱帯地方の病原菌を酷く警戒している様子で、ホテルで安静にしているぐらいなら、完治するまで入院し続ける、金は幾らかかっても構わないといった様子だった。そんな金払いのいいリッチな外国人デニーさんに対し、病院側もシメシメと言わんばかりに最高級の個室を用意しているようでもあった。

デニーさんが発症したのは、俗に言うモノモライだったが、タイではターデンという病名で呼ばれているようだ。タイ語でター(目)がデン(赤)くなるターデン(赤目)という名前そのままに、目が赤く充血し膿が出る症状である。何かしらのばい菌が目に入り発症してしまうということらしいが、タイでは季節の変わり目などに現れる流行り病のようなものらしい。リュウさんもタイ移住当初に一度患ったことがあるようで、その嫌な経験からか、なるべくデニーさんの傍に近寄らないように用心していた。

デニーさんはターデンを発症し入院することになると、自分にうつした張本人と思われるマッサージ嬢に連絡を取った。彼女はデニーさんが店に行く度に必ず指名するお気に入りのマッサージ嬢で、他の客とかぶらず予約できるようにと連絡先を交換していたのだった。デニーさんから事情を聞き、すぐに彼女は病院にお見舞いにやってきた。病室に現れた彼女の姿は大きなサングラスとマスクを着用した仰々しいものだった。実は彼女もターデンの症状が悪化しているようで、しばらく仕事を休んでいるらしい。元々は彼女自身も客の一人からターデンをうつされてしまい、彼女が発症したかどうか微妙な初期の段階でデニーさんに感染してしまったというのが経緯のようだ。その後、その店では数人のマッサージ嬢が次々とターデンを発症し、ちょっとした騒ぎになっているようだった。

それからデニーさんは毎日のように彼女を病院に呼びつけ、チップを弾んで病室で出張マッサージをさせた。担当の医者やナースからは苦言を受けることになったが、デニーさんはお構いなしにマッサージ嬢を呼び続け、挙句の果てにはデリヘルのように夜の女性まで病室に呼んで性的サービスをさせた。さすが金持ちはやることが違うと僕らは苦笑いするばかりだった。

デニーさんが入院している間に、病院内では一人、また一人と入院患者の中でターデン発症者が増え続けた。その根源は紛れもなくデニーさんだった。その恐るべき感染度の高さと早さから、僕らの間では空気感染もあり得るのではないかという話になった。しかし、医者の説明では、「デニーさんが膿の出ている目を触り、そのターデン菌がついた手で病院内のエレベーターに乗る、そのエレベーターのボタンに触れた他の入院患者が何かの拍子に目をこするようなことがあれば忽ち感染してしまう」ということだった。僕らはターデンが持つ凄まじい感染力に脅威を抱くことになった。

デニーさんは結局、一週間ほど入院生活を送り、それでも不安だからアメリカに帰国して向こうの病院で再検査を受けると言い残し、タイを後にした。それからデニーさんの帰国と入れ替わるように、僕もターデンを発症してしまったのだった。

「タイ人なら目薬をさしていれば直ぐに治るような病気だからマイペンライ(大丈夫)、デニーは大げさなのよ」。エルに軽くあしらわれ、僕は彼女に薬局で目薬と薬用洗浄液を購入してきてもらった。自分は今までモノモライすら患ったことがないし、視力もいいし目には自信がある、そのうち治るだろうとタカをくくって普通に生活を送っていた。それまでと何ら変わりなく外出し、夜になるとリュウさんと酒を飲みに出ていた。しかし、数日経っても、症状は良くなるどころか逆に悪くなる一方だった。

そのうち僕の目蓋は蜂に刺されたようにずんぐりと腫れ上がり、打たれまくった試合後のボクサーのように目が塞がった状態まで悪化した。うっすらと開けることができる白目の部分は全てが真っ赤に充血し、痛くて目をろくに開けることも出来ない。視界は不明瞭。かきむしりたくなるほどのかゆさ。とめどなく溢れ出てくる膿…。

それから僕は外出時にサングラスを着用するようになった。南国なので昼間なら違和感はないが、夜に繁華街に繰り出すとなると明らかに不自然に見える。それにサングラスの下では随時、続々と膿が湧き出しているので、定期的に携帯している目薬をさし、ティッシュでその膿を拭き取らなければならない。バービアで僕がサングラスを外すと、「キャーッ!この人ターデン(赤目)よー!うつるから近くに来ないでー!こっちを見ないでー!」と周りのタイ人たちは目を覆って逃げ惑い、露骨に敬遠されることになった。それは僕の存在自体をあからさまな態度で否定されているようで、僕を酷く憂鬱な気分にさせた。

目は赤なのに心はブルーになる……。全くそんな言い回しがしっくりくる陰鬱な病だった。

毎朝起床すると、一晩で溜まった大量の膿が目を覆い、アロンアルファで接着されてしまったみたいに両目は固く塞がり、力を込めても目が開けられない。頭は起きているのに視界はまだ暗闇の中だ。そんな暗澹たる目覚めを毎朝起きる度に感じながら、手探り状態でエルを探し彼女に声をかける。やすきよ漫才の「メガネ、メガネ…」ならぬ「アイドロップ、アイドロップ…」である。それをエルが薬用洗浄液で溶かすように洗い流し、拭き取ってくれ、目薬をさしてくれる。自分もうつるかもしれないのにエルは甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれた。

デニーさんを小馬鹿にし、エルに言われるがままターデン自体を甘く見ていた僕は、結局、そのバチが当たってしまったように完治するまでに数週間を要する羽目になった。それは劇的というよりは徐々に治っていたというもので、不細工に変形してしまった顔立ちにも慣れてきて、最早自分がどんな顔だったのかも思い出せず、もうこの現実を受け入れて生きていくしかないのではと諦めかけた頃に、いつの間にか元の自分に戻っていたような感じだった。視界が開け、自分の顔がようやく鏡で見れるほどに回復した僕は、何か自分が脱皮して生まれ変わったような感覚を覚えた。

そして、最悪なことに僕のターデンはついにエルにも感染してしまったのだが、彼女は目薬をさして数日でそれを治した。タイ人にはターデン菌への耐性が備わっているのだろうかと僕は人間の身体の神秘(不可思議)を感じるだけだった。

入院時のナースではないが、僕はこの陰鬱な闘病経験に際して四六時中、看病するように世話を焼いてくれたエルに甚く感謝することになった。その優しさと献身さにほだされ、彼女とはもう離れられないほどに心を奪われていた。このままいつか彼女と結婚できるなら…と淡い期待を抱くまでになっていた。

しかし、そんな淡い恋心も一時の恋煩いであるかのように、僕らの前には儚く散りゆく運命が待ち構えているのであった。

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