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パタヤジョイ【3】―海辺で過ごした時間

投稿日:2005年1月3日 更新日:

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「ヒロ(=仮名)、お前、またタイに行くのか?エイズだけには気をつけろよ!」。「いや、そんなんじゃないですから。僕はただ、海が好きで、物価が安いからタイに行ってるだけですよ」。僕は3度目のタイ旅行を終えると、その翌年、ある会社に就職した。会社の上司、周りの人間にとってのタイという国は、僕が以前に感じていたものと同様のものだった。

「治安悪いんだろ、気をつけろよ!」。「変なもん食って体調崩しても知らねえぞ」。「ちゃんとゴムつけろよ!」。全てが発展途上国に対して向けられる言葉ばかりだった。「いや、タイはそんな国じゃないんですよ」。幾らいっても無駄だった。以前の僕でさえ、タイという国に、発展途上国特有の印象を持っていたのだからそれは自然な考えだった。

そして、僕は、情けなくも、一人のタイ人女性に、はまってしまっていた。僕のような日本人が多くいることは、後に知ることになるが、とにかく、日本において、僕の中のタイ、僕の中のあの子は、秘密の宝箱のような存在だった。

でも、それだけではないことも確信して言える。やはり、僕は、この国。誰にも束縛されないのんびりと出来る空間に居心地の良さを感じていた。そして、その中でも海がある、ほどよく発展した街パタヤの虜になりつつあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

3度目の訪タイ、初めてのパタヤで、僕は、運命のいたずらなのか、ある女性と出会ってしまった。彼女の名前はジョイ。当時19歳だった。それまで、僕が経験したタイ人女性というのは、バンコクはパッポンストリートのGOGOバーで連れ出した女性一人だけだった。

その夜、部屋に戻ると、僕はコンビニで買い出してきたお菓子や、ジュースを片手にジョイといろいろな話をした。もちろん、当時の僕は、指差し会話帳などの存在など知るはずもなく、持参していた【地球の歩き方】の巻末にあるタイ語集を見ては、「サワディカプ」とか「ナーラク」など、怪しい発音のタイ語を彼女に投げかけた。僕が、このときの滞在で覚えたタイ語は、「サワディカップ(こんにちわ)」、「コップンカップ(ありがとう)」、「ナーラック(可愛い)」、「ペェーッ(辛い)」ぐらいだった。

およそ1時間がたち、どちらが言うまでもなくシャワーを浴びると、二人は自然の成り行きのままに、その後、互いの肌と肌とを合わせた。。そこには、前回のような事務的な作業はなかった。だが、僕は、その後の彼女の言動が気がかりだった。何しろ、パッポンでの経験は、事務的な作業の後、手を差し出され、「マニーマニー!」と金をせびられていたからだ。彼女は、僕が差し出した1.000バーツ札をムンズと奪い取ると、余韻も何もなく、部屋を出て行ったのを覚えている。

バンコクとパタヤの違いなのだろうか。GOGOとバービアの違いなのだろうか。そのときの僕には知る由もなかったが、とにかく、ジョイは行為後シャワーを浴びると、再び、ふとんの中へと潜り込んできたのだった。「えっ、家に帰んなくていいの?」。僕はロングタイムのことに関してもよく熟知していなかった。彼女はコクリとうなづくと、恥ずかしそうに再び僕の胸へと飛び込んできた。僕がシャワーを浴びようとすると、タオルを持ってきてくれた。僕がシャワーを浴び終えると、白いパウダーを僕の体に塗ってくれた。僕は、ただただ心地が良かった。

その晩、僕は、日本での大学のこと、バイトのこと、日本の彼女とうまくいっていないことなど、、多くのことを、、ありのままの自分を、片言の英語で彼女に伝えた。彼女もまた、家族のこと、田舎がどこかなどを僕に教えてくれた。これが人間同士の付き合いというものだった。その空間には、事務的な作業、考えは、ひとかけらもなかった。そして、僕らは、いつの間にか、眠りについていた。

早朝9時、、ゴソゴソという物音で目を覚ますと、ジョイはすでに帰り支度をしていた。「えっ、もう帰っちゃうの?」。「うん、姉さんが待っているから…」。もちろん、もっと居て欲しいと思ったが、僕にも、この日、連れとエレファントパーク(象乗り)に行く約束があった。僕はチップの相場を全く知らなかった。前回はGOGOバーで1.000バーツを取られていた。とりあえず、彼女の様子を見てみようと、僕はジョイに500バーツ札を1枚手渡した。

彼女は、さして喜ぶこともなく、かと言って怒ることもなく、1枚の札に目もくれずにそれをズボンのポッケへと押しやった。「ジョイ、また会いたいんだけど…」。彼女はニコリと微笑み、その辺にあった紙に、携帯の番号を書いて渡してくれた。「JOY 01-*%*$*#@* DON'T FORGET ME!!」。絵文字のような可愛い英語だった。

連れのほうもいい思いをしたようだった。「いやぁ、すごいいい子でしたよ。また今日も会う約束しちゃいました」。「お前もなかなかやるねぇ」。「で、ヒロさんはどうでした?」。「うん、ま、一言でいえば、、パタヤっていいよな…(笑)」。「でしょ、でしょ~。来てよかったでしょ!」。僕らは、その日、宿の近くの旅行代理店に行き、郊外に位置するエレファントパークへのツアーを申し込んだ。

そして、お昼に指定されたホテルに集まると、午後3時前には再び宿へと戻ってきていた。ホテル常設のプールに浸りながら、昨晩の出来事を再び思い起こす。連れも早くあの子に会いたい~の繰り返しだった。僕は、もらった携帯番号を手にすると、「彼女に電話してみるよ」と連れに伝えた。

「えっ、ヒロさん、電話番号もらったんですか。抜け目ないですねぇ」。「お前、もらってないの?」。「彼女、携帯持ってなかったから・・・」。「そうか、それは残念だったな(ニヤリ)」。でも、今になってよくよく考えれば、当時のタイでは携帯電話がちょうど普及し始めたころだった。彼女が、当時、携帯を持っているということは、それだけ、お金を持っている。稼いでいる子だということを意味していた。もちろん、当時の僕は、そんな憶測ができるほど、タイに通じてはいなかったが…。

僕は部屋の受話器を取ると、フロントに電話をかけ、「この番号に外線でつないで欲しい」と伝えた。およそ2~3コールでジョイは出た。「ハロ~」。「ハロー!ジョイ?」。「ウ、ウン・・・」。彼女は、寝起きのようだった。「俺、ヒロ、You remember me?」。「Yes...」。ジョイは寝ぼけ声で応えた。「今日も会いたいんだけど、どうすればいい?」。「んっ、ホント、何時?」。彼女は僕に尋ねた。

「え、え~と今」。「今は無理よ、何をしたいの?」。「I want to date・・・」。僕はでたらめな文法で伝えた。「???」。そして、もちろん、彼女に僕のあやふやな英語は通じていなかった。「会って食事とか、ショッピングとかがしたいんだ」。僕の頭の中は、普通の恋人のようなデートがしたい。それだけだった。「OK..OK...」ジョイは応えた。僕が知っている目立つ場所といえば、唯一、ビーチロード沿いのマイクショッピングモール。「じゃあ、マイクショッピングモールに18時でいい?」。「OK...」ジョイは応え、電話を切った。

「やったぜ!午後6時にデートの約束とりつけたよ!」。「いいっすね、俺も今日は早く彼女のバーに行きますよ。で、ジョイちゃんはバーで働いていないんすかね?」。「えっ、まだ聞いてないな…」。「だって、バーの子だったら仕事があるし、連れ出し料とかあるはずですよ」。「そっか、でもまあ、深く考えてもな。とりあえずマイクに18時集合だ」。僕の頭の中にはジョイがバーの子などという観念は全くなかった。そのときの僕は、バービアで連れ出した経験もなかったのだから、それは当然の考えだった。

そして、午後5時50分。僕は、日本人らしく、早めに集合場所に到着した。しかし、10分待っても、20分待っても彼女は現れない。携帯など、もちろん持っていないので電話もかけられない。まして、公衆電話の使い方すらも知らなかった。僕には待つしか方法はなかった。

午後6時30分。諦めかけてきたころ、彼女は現れた。「遅いよ…(苦笑)」。僕は待ったことの怒りよりも、また出会えたことの喜びで、顔をほころばせ言った。「Sorry...」。「何やっていたの?」。「ううん…」。彼女は、はにかみ笑ってごまかすだけだった。

その日、僕は、彼女を連れ、パタヤ湾に浮かぶ、船上レストランで食事をとった。その後は、ウォーキングストリートに行って買い物をし、ジョイの友達がいるというバーに行き、ビリヤードをして遊んだ。日本から持参してきていた使い捨てカメラも、あっという間に残り0の文字を伝えた。

そして、翌日も、その翌日も、僕は、ジョイとともに時を過ごした。彼女のアパートにも行った。僕らは、日夜問わず、二人で連れ立って時を過ごした。しかし、そのときの滞在期間中、ジョイのバーに僕が連れて行かれることはなかった。後に、ジョイがソイ9のバーで姉さんと働いていることを僕は知ることになるのだが、そのときは、ただ恋人のように毎日の甘い生活を繰り返すだけだった。

ジョイはMK-SUKIが大好きだった。僕も、このとき屋台での食事というものに、いまだ抵抗があったため、ちょっと小腹が空けば、BIG-Cに行きタイスキを食べていた。僕は旅行者らしく、Tシャツや友達の土産など多くの買い物をした。「ジョイ、何か欲しいものはない?」。「ううん…」。ジョイは何も欲しがらなかった。僕は、タクシー代と称し、気が向けばジョイに500バーツ札や、1.000バーツ札をあげた。彼女は、いつも何も言わず、黙って僕からのおこづかいを受け取った。

初めてのパタヤ、ジョイとのひと時はおよそ5日ほどだった。その全ての期間をジョイと過ごし、連れとその彼女とのダブルデートもした。はっきり言って、まだまだ、僕には物足りなかった。だが、僕らは、タイ滞在~6日目に友達と現地で会う約束をしていた。ほかの地に観光に行く約束もしていた。パタヤだけで終わるわけにはいかなかった。そして、僕は、これが、擬似恋愛であることも承知していた。

「タイになんて滅多に来れないのに、本気で恋愛しても意味がない・・・」。5日という夢のような魅惑の時間は、それ以上でも、それ以下でもないほうがいいと思った。僕の中での5日間は、吹っ切るのにも、いい思い出に変えるのにも、ちょうどいい期間だと思われた。

「Sorry...I have to go back Japan...」。僕は、まだ日本に帰らなかったが、あえてジョイにはウソをついた。ジョイはコクリとだけうなづくと、何も口にはしなかった。別れの朝、僕はジョイに「また必ず遊びに来るから…」とだけ告げると、1.000バーツ札を2枚彼女にあげた。

大きなバッグパックを担ぎ、ソンテウを待つ。後ろを振り返ると、小さなジョイの背中が50mほど先に見えた。「ジョーイ!」。僕は叫ぶと、彼女に大きく手を振った。そして、彼女も、またそれに応えた。バンコクへ向かうバスの中、僕の頭の中は、ジョイとの思い出でいっぱいだった。移動の2時間半は、思った以上に早かった…。

バンコクに着くと、僕らは友達に会い、カンチャナブリーなどの観光へと向かった。しかし、その道中も、頭の中を駆け巡るのは、ジョイとのことだけだった。「なんか切ないよな。お前はどうなんだよ」。僕は連れに尋ねた。「いや、僕も彼女のことが気になって気になって…」。「うん、でも、また、ここでパタヤに戻るのも、違うと思うんだよな…」。「そうですね。やっぱ、これは、ひとつの旅の思い出でしょ…」。

僕らの中で、あのひと時は擬似恋愛。それ以上は、踏み込んではならない掟のようなものだった。僕らは日本人。僕らは日本に住んでいる。僕らは日本で生活している。本気で恋すること自体が禁断の果実だった。

僕らは、その後もタイ中を旅行し、結局パタヤには二度と戻ることなく、およそ2週間の旅を終えた。ただ、成田についても、帰りの電車の中でも、、僕の頭の中は、ジョイとのことで埋め尽くされていた。パタヤで現像した写真、一緒に取ったプリクラを恥じることもなく電車の中で広げた。「彼女にあげた写真、大事に持ってくれてるかな」。情けなくも、僕は、パタヤにはまってしまったらしかった。

しかし、それも一人暮らしの東京のアパートに着くと、一気に現実へと引き戻された。50件を超える留守番電話にひとつひとつ耳を傾ける。電源を入れたとたん、鳴り響く携帯電話。待っていたのは、日本のせわしない空間だった。僕は、荷物を解き、一通りの作業を終えると、おもむろにパソコンの電源をつけ、メールを開いた。

「んっ!!!」。ジョイからのメールだった。

「Hello. Honey... I miss you.. I can not forget you.
I remember your eyes, sweet lips, and your arms hold on me...
I'm thinking about you all the time... Joy」

情けなくも、僕の瞳からは、とめどなく涙がこぼれていた。僕は、何度となくそのメールを読み返した。また、ジョイに会いたい。僕の中から、擬似恋愛という文字は、すでに消えうせていた。

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