いつものように行きつけの食堂へ行き、お決まりの夕食を食べ、家路につくフラフラとした帰り道、彼女に出会った。ROSE(仮名=27歳)。小柄だが、誰もが振り返るモデルのような8頭身ボディーの上には、均整の取れた顔立ち、流れるロングヘアーに僕のハートは、完全にイカれてしまった。
しかし、貧乏旅行者の成れの果てだった当時の僕には、まさに高嶺の花ここのところ夜遊びもとんと控えていたし、そんな余裕もなかった僕は、おそらく娼婦であろう彼女に声をかけられずにいた。そんな僕に興味を持ってくれたのだろうか。彼女の方から微笑み、声をかけてきた。「Are you from?」。「ジャ、ジャパニーズ、マイ・ネーム・イズ・タケシ」。片言のタイ語と英語で話す汗だくの僕に、彼女は嫌な顔ひとつせず応えてくれた。
そして、僕らは、その日意気投合し、流れに任せるまま、いつしか一緒に食を共にする仲になった。後に分かった事だが、やはり彼女は夜のお仕事。その時すでにイギリス人と、オーストラリア人の常客がいて月々10万バーツを超える収入を得ていた。今はバーの仕事も卒業し、収入のほとんどは家族への仕送りにあてているということだった。
「この二人とは、あくまでもお金目当てだけの付き合い。あなたからは何もいらない」と、僕とは、何の贅沢もない質素な生活を繰り返す彼女に、僕は何も言えなかったし、これがタイだと自分に言い聞かせ、ただ毎日の甘い生活を楽しんでいた。
しかし、彼女と居住を共にするようになり3ヶ月が過ぎたある日の夜だった。いつもとは違う顔、考え込むような仕草を何度となくするROSEに、僕は体調が悪いのかと声をかけると、「ごめんなさい。親が病気で半年ほど実家に帰らなくちゃならないの」と彼女。でも何か様子がおかしい。『親が、兄弟が病気だ』は、タイ人がウソを言う時に使う常とう文句だ。「本当のことを言ってくれ」と、僕は問い正した。するとROSEは涙を浮かべて、その重い口を開いた。
「実は・・私、この二人の常客の他に結婚を約束しているフランス人がいるの。彼はフランスの大金持ち。愛してはいないけど、彼と結婚する事が、貧乏な私と私の家族にとっては一番いいこと」。そして、「今、私のお腹には彼の子供が…」。ショックで居ても居られなくなった僕は、そのまま無言で家を飛び出し、酒を浴び、その日はROSEの元に戻らなかった。そして、翌日の朝、家に帰ると、彼女と彼女の荷物はすでに無くなっていた。パタヤでの僕の淡い恋は終わったと思った。
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それから、更に半年が過ぎ、失恋のショックもようやく消えてきていた僕は、毎晩のようにバービアに足を運んでは、日常会話が出来るほどになったタイ語を駆使し、夜遊びを繰り返していた。しかし、そんな天国のような日々も長くは続かなかった。ROSEがパタヤに舞い戻ってきたのだ。しかも、子供を産んだ彼女は、一周り体もデカくなり、あのモデルばりのBODYはどこへやら。いかにも母親という風格を呈していた。そして、再び彼女は僕のアパートに転がり込み、愛をささやいてきたが、僕の心には、もう愛情のかけらもなかった。
更に驚く事に、彼女はフランス大手企業社長ご子息との婚約を破棄したばかりだという。それも、僕のために。しかし、与えるお金も愛もなくなった今の僕にとっては、ROSEはもうウザイだけの存在。彼女を突き放し、僕は女遊びを再開した。
だが、彼女のほうが器は更に大きかった。もう僕からの愛がないことを感じたROSEは、パタヤ中の僕の行きつけのバーに乗り込み、「彼は私のダンナ(男)よ。手を出したら承知しない!」とすごんだ。更に、この頃のROSEは、マフィアのボーイフレンドを新しい常客として確保していたため、「彼に手を出したら、あなたをパタヤから消してやる!」とあり得ないことを言ってまわった。
女の子たちは、誰も僕に寄ってこようとはしなくなってしまった。この時、僕の携帯には10人程のストックがあったが、ROSEはこの全ての女の子に電話をかけ、関係を断ち切るよう迫ったのだ。おそるべきROSEの執念に僕は圧倒されたが、僕にも男の意地があった。そんな状況でも、ROSEの目を盗んでは、僕はちょこちょこと夜遊びを繰り返した。そして、忘れもしないあの日の出来事が起こった。
その日、僕は別に安ホテルの部屋を借り、必死で口説き落としたネン(仮名=17才)と夜の遊びに興じていた。ROSEには、日本から友達が来たからバンコクに行ってくると告げてある。「大丈夫だ。問題ない。バレルわけがない」。でもROSEは、やはり一枚上手だった。ネンとの夜の行為も佳境を迎え、ちょうど僕が果てそうになった時だった。僕の携帯がROSEからの着信音を伝えた。「テレーレーレレーレレレーレ……♪」。『ゴッドファーザーのテーマ』。この状況に何とふさわしいメロディ。「ああ、こんな着メロにするんじゃなかった」。
更にいきなり「ドンドンドンッ!」と突き刺すほどのドアの音。「ROSEが来た。なぜここがバレたんだ」。でも考える余地などない。当然しかとを決め込みたかったが、そんなものROSEに通用しないのは、分かっていた。僕は、部屋のドアをおそるおそる開けた。そのとたん!ものすごい形相で僕に詰め寄ってきたROSEは張り手を一発くらわしてきた。更には、一緒にいたネンにも殴りかかる始末。しかし、ネンもその辺の娘とは違うイケイケの若さがあった。テーブルの上にあったビールビンで応戦し、そこは、まさしくゴッドファーザーの世界。マフィアの縄張り争いの模様を呈していた。僕は何とかネンをなだめ、ROSEを押さえつけフロントに電話をかけた。
すると、あまりにもすごい大音響におそれをなしたフロントは、我関せずと警察を呼んでしまった。警察が来ると、僕は「彼女(ROSE)が部屋に押しかけ、部屋のものをメチャメチャにした。彼女とは知らない関係だし迷惑だ。ここから連れ出して欲しい!」と事情を伝えた。第三者から見れば、とちくるった形相のROSEが一番やっかいに見えるのは当然。彼女はそのまま連行された。そして、「私にはマフィアの彼氏がいる。お前をパタヤから消してやる!」と、ROSEお決まりのセリフを浴びせられたネンは、さすがにおそれをなして、次の日、田舎へと帰ってしまった。
それから一週間が過ぎ、ネンから連絡があった。「あの女、ムカつくから呪いをかけてやったワ!!」と。何でも、あの日、部屋中を物色しROSEの髪の毛を持ち帰ったネンは、それを呪いに活用したらしい。ネンはカンボジアの家系に生まれた娘、親戚の呪術師に頼むのは容易なことだったとほくそえんだ。そういえば、ROSEからはあれから連絡がない。僕はタイの女の怖さを改めた知った。それからニ週間。風のウワサでは、常客も離れ、バイクで度重なる事故。全くツキのなくなったROSEは、半ばウツ状態で実家に帰ったということだった。
『ローズという名の女』 僕の今までの人生で、彼女ほど愛し愛され、そして、おびえた女はいない。彼女は今、どこで、何をしているのだろうか…。