よく思うことだが、タイという国は、浮浪者に対して非常に優しい国である。バンコクの街角でよく見かける光景。タンブン(=現世で徳を積むと来世でいいことがあると信じる考え)の精神で、物乞いに小銭を分け与える一般市民。ホームレスのガキどもなんか、信号待ちの車をターゲットに、生花を売ったり、強引に車を磨いたりして、「だんなチップをください・・」なんてやっているわけだが、これも案外、小銭のGET成功率は高い。
パタヤでも、もちろん観光客をカモに、赤ちゃんを抱きかかえた物乞い、手足のない物乞い、盲目の物乞いなど、多種多様な浮浪者は存在する。が、よくよく観察してみると、欧米人観光客よりも、タイ人がそれらの人々に、小銭を恵んでいることのほうが多い。もちろん、あまりのしつこさにウンザリ気味の観光客もあげることはあるのだが・・。
そういったタンブン精神という大きな後ろ盾を味方につけている、タイの浮浪者たち。常夏の国だから、その辺で寝たとしても、暑いぐらいで凍え死ぬようなことは、もちろんない。腹が減れば、その辺の屋台のおばちゃんに強請ればいいし、実際、5バーツあれば何かしらの食べ物にありつけることが出来るのである。そう考えると、タイは、浮浪者を職業(?)として考えてみれば、まさに天国のような国なのである。
そんな、ヒマ人的発想をしていた、ある日のこと。行きつけのタイ食堂で、飯を食っていた僕は、驚愕の事実を知ることになった。(おおげさか) 朝方まで飲んだくれていたため、それは早朝6時頃。近所の寺から出てきたであろう僧侶の群れが、托鉢の鉢を手に、食堂を訪れた。で、食堂側も、それは毎日の日課のようなもの。ご飯ものだとか、スープものだとかいった料理を、あらかじめビニール袋に入れ、用意している。仏教国らしい、何ともほのぼのとした光景である。
そして、それは一瞬の出来事だった。
食堂のオバチャンが、僧侶の托鉢の鉢に、供え物を入れたその瞬間。僕の視界に入ったのは、黒い人影。そう、それは一人の浮浪者。ものの見事としか言いようがない、瞬発力でどこからともなく現れたヤツは、托鉢の鉢に手を突っ込み、僧侶のことなどよそに、平然と料理数品をかっさらっていったのである。
あの動きは、もはや常習犯としか言いようがない。いや、彼にしたら、それはいつもの日課なのか。そして、そこはタンブンの国。もちろん、哀れな浮浪者に対し、その行為を咎めるようなことは、僧侶、食堂のオバチャンですらしないのである。
うむ、やはりタイは浮浪者天国なのであった。