タイという国は、訪れた人間の人生観というものを大きく覆す。よく言われる言葉だが、僕もその一人だと言える。特に、現地の女性の魅力に溺れ、何度となく訪タイを繰り返す日本人は、今でも後を絶たないと言うが、実際、僕もその一人だった。だが、タイの魅力は、それだけに留まらないとも思う。誰もが憧れるコバルトブルーのビーチ。晴れ渡るブルースカイ。常夏の島を表するときによく使われる言葉だ。
確かに、タイには多くのビーチリゾートが存在するし、常夏の国でもある。しかし、タイには、それだけでは言い切れないものがある。多くの旅行雑誌やパンフレットは、「微笑みの国」としてタイ旅行を人々に呼びかける。実際、現地タイ人の笑顔というものはすばらしい。僕らが旅行者だからなのかもしれない。
でも、タイでは、そこかしこで自然と笑顔が飛び交っているような気がする。「スマイル0円」などと唄い、客に微笑を押し付ける国とは、根本的に違う何かがある。昔から欧米や、外国というものに、特に関心のあった僕は力のいらないこの国に自然とはまって行った。
タイ3度目の旅行は、はっきり言って、前回のGOGOバーが忘れられなかったからだ。僕は、そのとき、就職活動真っ盛りの大事な時期を迎えていた。大学は建築系の学部であったが、周りの皆のように、さして就職というものには興味はなかった。
タイへの誘いは、バイト先の後輩からだった。「ねえ、ヒロさん(仮名)、タイ行きましょうよ。俺、パタヤに行きたいんですよ」。「はぁ?パタヤ、海があるところだよなぁ。でも、海が汚いって聞いたことあるぜ」。「いやいや、パタヤにはバービアっていうオープンバーがたくさんあるんですよ。そこで気に入ってる子がいて…」。「まじで??お前、何やってんだよ。アホか」。僕には付き合っている彼女がいた。
それでも、僕は、あの怪しくも、狂喜に満ちた前回の体験を忘れることは出来なかった。僕らは2週間のタイ旅行を計画した。彼女は、うすうす感づいたのか旅には反対だったが、就職前の最後の旅行だからとそれを勇めた。また、4年近く付き合い、ちょうど倦怠期を迎えていたこともあった。僕は、喜び勇んで、タイ行きの航空チケットを購入した。
情けない話だが、僕の頭の中は前回訪れたGOGOバーのことでいっぱいだった。しかし、バンコクに到着すると、後輩の付き合いということで、僕らはすぐにバスを利用しパタヤへと足を延ばした。パタヤのバス停に到着すると、ソンテウと呼ばれる乗り合いタクシー(ピックアップトラック)に乗り込む。数分もすると、僕らの乗ったソンテウは、ビーチロードへと入っていった。
「な、、何だ、これは!!!」。僕は唖然とした。夕刻を迎えた街には、赤、ピンク、紫といった色とりどりの怪しげなネオン群が、そこかしこで踊っていた。後輩はニヤリと僕に微笑みかけた。「ねっ、ヤバイでしょ、この街。まっ、とにかく宿、探しましょ!それから、それから!」。
僕らはセカンドロードから少し入った場所。記憶は不確かだが、今その記憶を掘り起こせば、おそらくソイハニーイン通りの中級ホテルにチェックインした。荷物を解き、シャワーを浴びると、僕らは、長時間移動の疲れも知らず、街へと繰り出した。
後輩は、気に入っていると言っていた彼女のバービアへと、僕を連れて行った。しかし、残念ながら、彼女は店にはいなかった。店の女性に尋ねると、もう数ヶ月前に店を辞めたとのことだった。彼は、今回が2度目のパタヤだそうだが、結構、彼女にはまっているらしかった。
「お前さぁ、何、感傷的になってんの?ここはタイだよ。何、はまっちゃってんの?細かいこと気にせずに遊べばいいんだよ遊べば…」。僕には、このとき彼の感覚、思考というものが全く分からなかった。僕は彼をなだめ、街中を散策することにした。ただ、彼もパタヤについては多くを知らなかったが…。
その後は何軒ものバービアをはしごした。バンコクのGOGOバーに比べ、ドリンクは安く感じた。しかし、前回バンコクのパッポンで感じた、狂おしいばかりの眩さはパタヤにはなかった。確かに、街を歩けば、ソイ(小通り)に入れば、多くのバーが林立し、数え切れないぐらいの女の子たちが寄ってきては僕らに抱きつき、手を取り、バーへと引き込もうとした。しかし、そこにいるのは現地人ばかりだった。まるで、動物園状態だった。ゴリ顔や、サル顔の現地人に、言い寄って来られても、そこには苦笑以外の何ものもなかった。
そして、そのとき、僕は気付いた。パッポンが特別な地域であったことを…。
僕は勝手な想像をし、後輩に告げた。「おい!ダメだよ、バービアは。現地人ばっかじゃんかよ。やっぱ、GOGOバーだよ!」。「そうっすねぇ。ちょっと可愛い子いませんよねぇ。どうします?」。「この街には、GOGOバーはないのかよ?」。「いや、僕も知らないです」。そのとき、僕らはパタヤのタウンマップすら持っていなかった。
「ま、適当に歩くか…」。とにかくこの街は海沿いだろう!と確信した僕らは、ビーチ沿いを北から南へとひたすら歩いた。そこで我々の目にとまったのは「タヒチアンクイーン」というGOGOバーだった。僕は歓喜し、その店へと後輩を引き入れた。もし、もう少し南に下っていれば、ソイパタヤランドや、ウォーキングストリートにも巡り合っていただろう。だが、当時の僕らはパタヤのことについて何も知らなかった。
タヒチアンクイーンはパタヤのGOGO第一号と言われる老舗店。その当時の僕らには、もちろんそんなこと知る由もなかったが、とにかく、僕は久しぶりのGOGOバーを楽しんだ。でも、これといった好みの子はいなかった。ただ、幾分、こういう店での遊びに慣れてきていた僕らは、隣りの欧米人と乾杯して盛り上がってみたり、踊ったりして、楽しく時を過ごした。
それでも、僕は今日一番の可愛さを放つ子を、この店で見つけていた。彼女は僕の隣りに来て数分話したが、すでに向かいに座る欧米人に指名されているようだった。聞くと、彼女は「僕と一緒に行く」と告げてきた。でも、まだまだ宵の口。僕らは次なる店へと行くことにした。
それからは、とにかく二人して酒をあおった。GOGOバーも何軒か行ったが、全てビーチロード周辺の店だった。夜も12時を回り、1時を過ぎると、僕は酔っ払い、ヘロヘロになってしまっていた。「いやぁ、楽しいよなぁ」。動物園と思われていた感覚神経は、すでに酒で麻痺し、ゴリ顔でさえも愛嬌のある顔へと変化していた。僕は、現地人の顔立ちに慣れ始めていた。
後輩は、あるバービアで気に入った子を見つけた。一緒にゲームに興じ、とても楽しそうだった。その子の妹が僕を気に入っていると言ってきた。色は白くて細身で見るからに日本人のタイプだったが、僕の好みではなかった。「お前、どうするの。この子連れ出すの?」。「はい、そうしようかと思って。ヒロさんはどうします?」。「いやぁ、俺、さっきのGOGOの子がいいなぁ。う~ん、ちょっと行ってくるわ」。「まじっすか?じゃあ、俺も付き合いますよ」。
後輩はその子に後で会いに来ることを告げると、再び僕らは最初のGOGOバーへと戻った。しかし、彼女は違う男性に連れ出されたとのことだった。「あの欧米人かなぁ。さっき一緒に行っとけばよかったよ」。だが、後悔しても、もう遅い。「じゃあ、ヒロさん、僕が連れ出す彼女の妹にしてくださいよ。ねっ!」。「う~ん、でも、俺、今日はいいわ。気分も乗らないし、かなり酒にも酔っ払ってるし…」。僕らは再びさっきの店へと戻った。
すでに2時を回り、後輩の気に入ってた子は帰り支度を始めていた。店ももう閉店の様子だった。「これって連れ出し料とかあるの?」。「いや、分かんないです。ま、言われれば払いますけど」。僕らが店の前で話していると、仕事を終えた彼女が後輩のほうへと近寄ってきた。「一緒に行く?」。「行く行く!」。後輩は即答した。連れ出し料は、もう要らないようだった。そして、その子の妹が再び僕のほうへと近寄ってきた。「Me too Me too」。彼女は僕を誘ってきた。「Sorry...I don't want today...」。彼女の妹は、しきりに僕と行くと迫ってきたが、僕は頑なに拒否した。
「じゃあ、今日は帰るかな。お前だけでも楽しんでくれよ」。「すいません」。「いやいや、気に入った子がいないときは、無理しても金の無駄だし…」。それでも、彼女の妹は僕らと一緒に歩き、ついてきた。「おいおい、この女、どうにかしてくれよ。俺、この子、嫌だよ」。「何なんすかねぇ。どうせだから、一緒に連れて行きましょうよぉ」。「ヤダ…」。そんな会話を繰り返していたが、その妹は空気も読めず、ずうずうしくも僕の隣をついてきた。それはまさにダブルデートのような雰囲気だった。でも、どうしてもその日は、気分が乗らなかった。
「俺、この子、ウザイから先帰ってるよ。また明日な!」。僕は後輩に別れを告げると、彼とは同じ宿ながらも、一足先に早足でホテルへと戻ることにした。無理やり、あの妹に部屋に入って来られても困るしな。今日はさっさと寝よう・・・。彼らを振り切り、僕は急ぎ足でホテルへと歩を進めた。そして、その途中、、僕は出会ってしまった。その日の気分、行動、思い、、全てが偶然のように重なり、ひとつになった瞬間だった。
僕は、通りの向こうから歩いてくる、一人の女性に目を奪われた。褐色の肌、細身の体、クリリとした大きな瞳、全てが僕の好みだった。そして、そのときの僕には、恥も何もなかった。ただ、憑かれたように彼女のほうへと吸い寄せられた。
「Hello..I wanna talk to you..Do you have time?」。僕の口から自然と出てきた言葉だった。しかし、彼女は、僕の質問に答えることもなく、ただ微笑むと、僕の前から姿を消し、人込みへと消えていった。僕は、ただ、呆然とその場に立ち尽くした。
それから、数分後、後を歩いて来た後輩がそんな僕を見つけ、声をかけてきた。彼女、それに彼女の妹も一緒だ。「まだ、いるのかよ、この女…」。「で、ヒロさん。こんな所で、どうしたんですか?」。「いや、さっき、すごいタイプの子がいてさあ…」。「えっ!まじっすか。で、どうしたんですか?」。「いや、声かけたんだけど、笑ってどっかへ行っちゃったよ(苦笑)」。「いやぁ、でも、あの子可愛かったなぁ…」。「この辺のバーの子じゃないんですかね?」。「いや、俺もそう思って、さっき適当に歩いて見たけど、この辺では見当たらなかったよ。もう家にでも帰っちゃったのかな・・・」。
「あんなにビビッと来た子はタイで初めてだよ。日本でも中々ない感触だったのにな。」僕は、あの時、なぜ、彼女を追いかけなかったのだろう。でも、後悔しても悪いのは自分だった。僕らは再びホテルへと足を向けた。そして、そこから数十メートルほど歩いた所だったろうか。その日、何軒か行ったうちのGOGOバーで知り合い、ハシャギ合った欧米人2人がタイ人女性数人を連れ、屋台で食事を取っていた。
「Oh!How are you?」とか何とか言いながら、再び握手をする。「お、お前らも女連れてるのか」。そのとき、後輩の連れ出した彼女の妹は、まだしつこくいたが、僕があからさまに避けているのを感じ、お姉さんのほうへと身を寄せていた。その欧米人らは「で、お前は?」と僕に尋ねてきた。「いやぁ、今日はダメだね…また明日…」。
と、、僕が目を向けた先、、その欧米人の隣りには、さきほど僕が声をかけた子が座っていたのだった。僕は再び彼女に微笑を投げかけた。彼女は恥ずかしそうに僕に微笑を投げ返してくれた。どこの店の子か、欧米人に聞きたかったが、それは失礼なことだと思われた。でも、そのとき、僕は、その子から目が離せなかった。その子から二度と離れたくないという気持ちに駆られた。
そして、そんな僕の表情を読み取ったのだろうか。欧米人は僕に告げてきた。「んっ!お前、この子がいいのか?」。恥もクソもなかった。「YES...」。僕は正直に答えた。そして、「OK!持って行きな」とまで言ったかどうかは覚えていないが、その欧米人は僕のほうに彼女を押しやったのだった。
「Really?」。「OK, OK, Don't worry...」。「Thanks !!!」。僕は欧米人と握手を交わし、彼女に話しかけた。
「Go Hotel with me OK?」。彼女はコクリとうなづいた。
この運命的な彼女との出会いが、僕のその後のタイへの思いを大きく変えていくのだった。