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男たちの南国物語 VO.24 パタヤ移住!始まりはタコライスだった―パタヤ移住編

投稿日:2017年9月14日 更新日:

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もう何ヶ月ぶりになるだろうか。翌日早朝、久しぶりに成田空港に降り立った。ターミナルを出ると、寝不足気味の身体に肌を突き刺すような日本特有の寒さを痛感し、慌ててバックパックから上着を取り出した。長時間フライトにより身体は煙草を欲しがっている。

外に出て喫煙所を探していると、リムジンバスを待っている集団の中に上半身タンクトップだけの欧米人男性の姿があった。ムキムキに鍛え上げた自らの肉体を周囲に見せたい願望があるのだろう。彼がどれほど日本に滞在するのかは知らないが、果たして日本の寒さにあの薄着で何日耐えられるのだろうかとふと思い、いや彼は日本よりもっと寒い北欧辺りから来たに違いないと勝手に想像した。

その北欧男とは違い、数ヶ月の南国滞在から日本に戻ってきた僕は、朝の凍てつく空気にブルブルと震えながら煙草を燻らせる。まだ目覚めきっていない身体の隅々にニコチンとタールがゆっくりと染み渡り、くらくらと軽いめまいを覚えた。

数ヶ月前に日本を飛び出す前はマルボロ(赤)を吸っていたが、タイで長期滞在者のリュウさんに出会い、いつしか彼が吸っているのを真似て安価なタイ製のタバコに変えた。それは「L&M」という銘柄で緑色(キアオ)のパッケージのメンソールが南国の空気に心地良くマッチしていた。しかし、日本の季節、特に冬の冷たい空気の中では全く似つかわしくなく、タイで吸っていた時より不味く感じた。

一緒に帰国したリュウさんは、特に予定もないので、僕の一人暮らしのアパートに付いてくることになった。大きなバックパックの僕に対し、頻繁に日本に帰国しているというリュウさんは、ちょっとした小旅行程度の大きさのショルダーバッグ一つだけという軽装なので、そのまま僕の住まいへふらっと遊びにでも行くような雰囲気である。起き抜けの脳内を活性化させるようにタイ産のメンソールタバコを立て続けに2本吸い終えた僕は、バックパックから携帯電話を取り出すと、「少しの間待ってて下さい」とリュウさんに告げ、喫煙所から一人離れた。

ひと気のない場所まで歩きながら、数ヶ月ぶりに携帯電話を立ち上げると、瞬く間に溜まっていた不在着信やメール着信のメッセージ音が怒涛のように鳴り響く。せわしない日本の現実に急激に戻されたような感覚に陥り、すぐに電源を切ってしまった。再び構内に戻り、公衆電話を探す。自動販売機で1.000円分のテレフォンカードを購入し、寝ぼけた頭と帰国した勢いそのままに、実家の電話番号をダイヤルした。

もう起きている時間だろう。親父が出たら嫌だなと思いながら、数コール待つと、母親が電話口に出た。

「も、もしもし、、俺やけど…」

「ヒロか?あんたは一体、何をしよるとね。今、どこにおるとね?」

「ごめん。今、日本に戻ってきたところで成田空港…」

「どういうことね?」

「いや、仕事を辞めて、気晴らしにタイにしばらく行っとった…」

「あんたはバカやないね。それで、これからどうするとね?」

「ホントにごめん。でも自分の人生は自分で決めたいけん。それで実はタイで知り合った日本人に仕事を誘われて、しばらくタイに住もうかなと思っとるんやけど…」

「はぁっ?あんたはいったい何を言いよるとね。バカやないね、いい加減にせんね!」

「いや、また家に戻ったら、改めてちゃんと説明するけん…」

長電話になるとテレフォンカードが持たないからと言い訳し、逃げるように早々に電話を切った。親父は電話口にも出ないほど激怒しているようだった。一気に目も覚め、胸の鼓動はバクバクと激しく波打っている。僕はゆっくり深呼吸すると、もやもやと身体の中を駆け巡る不安な気持ちを一度に吐き出すように、大きく息を吐いた。再び喫煙所に戻り、両親に電話した旨をリュウさんに告げた。

成田エクスプレスに乗り込み、あっという間に新宿に到着すると、久々の都会の雑踏に辟易した。朝の通勤ラッシュ、単色スーツ姿のサラリーマンの群れ、オーデコロンの親父臭が冷たい空気に混じり、鼻先に漂ってくる。使い慣れた小田急線、ゆっくり座って鈍行で帰ることにした。住まいのある下北沢まで各駅停車でのんびり走る電車の中、リュウさんとあれこれ雑談しながら、僕の頭の中では会社員時代の様々な記憶が甦っていた。

下北沢の南口商店街を下りきったところ、駅から歩いて数分程の近距離に、僕が学生時代から長年住み続けたアパートはある。小さくまとまった街並みに、ファーストフード、飯屋、居酒屋、バー、カフェ、洋服屋、本屋、レンタルビデオ屋、CDレコードショップにスーパー、パチンコ屋、劇場にライブハウスまで何でもある。田舎から出てきた僕にとっては、おもちゃ箱のような理想の空間で、お気に入りの住みかであった。

初めて下北を訪れたというリュウさんは、すぐに街の雰囲気を気に入り、色々と見て回りたいというので、久々に戻ったアパートに荷物を置くと、リュウさんを案内するように、半日かけて街を一周ぐるりと散策した。夕方になると開店する人気のたこ焼き屋で小腹を満たし、デザートは定番のクレープ屋で締める。日が沈みアパートに戻ると、帰国したばかりで色々動き回ったので疲れたのだろう、リュウさんは仮眠を取るように寝入ってしまった。

僕はリュウさんに聞かれないようにアパートの外に出ると、再び実家に電話して、これまでの事の成り行きを説明した。僕からの告白を聞き、母親は呆気に取られ失望するように溜息をつくばかりだったが、仕事を辞めてしまった現実はもう過去のことで変えられるはずもない。このまま僕を好きにさせては危険だと感じたのか、母親は「とにかく一度、実家に戻ってきなさい」と命じるように僕に告げた。

我がままで都合のいい陳腐な言葉だが、僕は人生何度目かの「一生のお願い!」と母親に懇願し、「なんとか1年、いや2年、、30歳になるまで好きにやらせて欲しい。もしそれでダメなら福岡に戻ってどこかに再就職するから…」と自分の思いを吐き出した。

高額な授業料を払い仕送りまでして、田舎から東京の大学へと出した息子は、あろうことか、勤めていた会社を勝手に辞めて、タイに移住するとか突拍子もない阿呆なことを言っている。どうしようもないバカタレの放蕩息子である。親父の心情は痛いほど分かった。

しかし、僕の思いはというと、いつも最終的には家族や血縁関係といった域をはみ出し、それはある意味冷めたもので、「結局、人間、死んだら終わり。皆、最後には独りで死んでいくのだ。人生は取り返しのつかない一度きりで、時間は皆平等に限られている。ただ自分の思いのままに生き、あの時、あーすれば良かったなどと後悔だけはしたくない…」というだけであった。

しかして、母親は何を言っても頑固な性格の僕が考えを改めることはないと感じたのか、もはや諦めたように、激怒している親父の思いを代弁するように、「勝手にしなさい!その代わり、向こうにいる間は二度と電話をかけてきなさんな!何があっても知らんばい!」と親子の縁を切るぐらいの勢いで勘当宣言をした。それは僕を思いとどまらせるための最終手段だったのかもしれない。

僕は電話口でうなだれたが、両親からの勘当を素直に受け入れた。それぐらい僕のタイ移住への決意は揺るぎのないもので、「これでもう後戻りは出来なくなった。このままタイに行くなら、必ず成功して結果を出さないと、もう日本に戻ることは出来ない」と自分に固く誓った…。

夜も更けた頃、リュウさんと再び下北沢の街へと繰り出す。小腹も空いたので餃子の王将に行き、酒を呑みながら作戦会議をすることになった。話の内容はもちろん今後、タイで始めるビジネスについてだった。当初リュウさんが僕に語っていたのは、「パタヤで日本料理屋かタイマッサージ店をやりなさい」と彼のスポンサーに言われているということだった。しかし、僕がタイ移住を本気で決意し、リュウさんに全てを委ねた辺りから、話の内容は微妙に変わっていった。

リュウさんは様々な分野に興味を示し、パタヤで流行っているバーやカフェ等に一緒に足を運ぶと、あーでもないこーでもないと色々と自分の意見やアイデアを語るのが常だった。儲かりそうな現地での商売について目を光らせ、いつでも情報収集に余念がないといった節があった。

そして、「スポンサーの言うとおり、日本レストランかタイマッサージでもいいんだけど、俺はあまり興味ないし、やりたくないからさー」と、何か別の業種のビジネスをしたいのだと僕に告げた。異国の地タイで商売をすることに関し、全くアイデアなど浮かんでこない、更に金銭的な余裕もない僕は、ただリュウさんに全てを委ねて、彼の意見に従い、一緒についていくということしか他にやることはなかった。

その時、リュウさんが最も関心を示していたのが、小額の資金からでも始められる屋台ビジネスだった。当時、パタヤの街中で流行っていたクレープ屋さんがあった。それは裏で日本人が出資しているらしく、日本にあるクレープ屋さんを真似て、タイの屋台スタイルで、味付けなどは少しタイ風にアレンジして出店するというやり方である。これが現地人にも受けて、そのクレープ屋はわずか数年でパタヤ中に支店を次々増やすことになった。というパタヤドリームとも言えそうな夢のある話だ。

先ずは少ない投資から始めて、うまく軌道に乗れば、2店舗目、3店舗目と利益は膨らんでいく。そのためには既存店にはない商品やサービスで、パタヤを訪れる観光客や現地タイ人にも好まれるようなモノ、リュウさんはそれを探し求めているようだった。

南国の気候に合って、欧米人にもタイ人にも受け入れられそうなもの。南国といって僕が連想するものは家族旅行で行ったことがあるハワイ、そして学生時代に付き合っていた彼女と訪れた沖縄だった。同じ国なのに異国情緒を感じさせるのんびりトロピカルな空間に、僕は一度で沖縄が大好きになった。いつか住んでみたいと思えるような魅惑に満ちた場所であった。

沖縄には在日米軍基地がありアメリカ人が多く住んでいる。沖縄のファーストフード店で飲んだ沖縄限定の南国フルーツシェイクやソーキそば等の沖縄料理に思いを巡らせる。そういえばタコライスなんて食べ物もあったなぁ。ご飯の上にレタス、チーズ、トマト等を乗せ、チリソースをかけたお手軽フードだ。そうだ、タコライスならタイでもいけるのではないか。「タコス&ライス」なら欧米人にも分かりやすいネーミングだし、彼らにも好まれるような味かもしれない。

それは面白いアイデアかもしれないね!と、リュウさんもすぐに僕が思いついた案に反応し、興味を持ってくれた。それから、僕らの商売の手始めは、パタヤで屋台形式のタコライスショップを出店するという一点に絞られることになったのだった。

下北沢には何度か行ったことがある沖縄料理屋があった。それにタコライスがメニューにありそうな多国籍レストランや、南国風スタイルの居酒屋など、思い当たる店が何軒かあった。餃子の王将で酒も入り、気分が良くなった僕らは、それから市場調査とでもいうように、タコライスを探し求めて下北の夜を食べ歩きして回った。

すっかり下北の居心地が良くなったのか、リュウさんは一緒に帰国してから数日が過ぎても、僕のアパートから一向に帰る気配を見せなかった。僕らは渋谷や原宿、新宿辺りの繁華街に出かけては、カフェ、飲食店、居酒屋、洋服屋など業種の違う様々な店に入り、あーでもないこーでもないと、嬉々として二人あれこれと語り合った。

タイの現実というものを何も知らない僕は、ただ異国での甘い理想を胸に抱き、夢膨らませ、無知なる野望に酔いしれるだけだった。

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