先週末から始まった長きソンクラーン(水掛け祭り)期間もようやく終焉を迎えたようだ。タイ仏暦の祝祭日(年間行事)は仏教関連日が多いことからも分かるが太陰暦に則って決められるため毎年日付が変わるものが多いが、タイの旧正月でもあるソンクラーンは毎年4月13日~15日の三日間が祝祭日として決められている。ただ、イベント(祭事)として開催される日はそれぞれ地方によって異なり、バンコク~東部地方にかけての流れで言えば、13~15日がバンコク、16~17日がチョンブリー(シラチャー)、そして18~19日がパタヤとなる。細かく言えば18日が北パタヤ(ナクルア)、19日が中央~南パタヤとなるようだ。更に20日が
ジョムティエン~バーンアンプー、21日がサタヒップ~ラヨーンという流れで続いていくようだが。いや、いったいいつまで続くんだ・・と突っ込みたくなるが、パタヤのソンクラーン日を見てみても、ピックアップ車に大人数で乗り込んだタイ人集団がぞくぞくと列をなし通りを埋め尽くす大渋滞になるわけだから彼らの中には数日間の泊りがけで水掛け遠征に興じているなんてツワモノも結構いるのかもしれない。ワイルン(若者)か・・。
また、タイ人の感覚としては本来の正月休みというわけだから、銀行などの公的機関はともかく一般の企業や店(従業員)などは一週間~10日間ぐらいをソンクラーン(=正月休み期間)として捉えている感じである。というわけで、日本と同様、都会に出稼ぎに出ている者は田舎に帰郷し、のんびり家族と過ごすという話にもなるのだが・・。これまで毎年嫌というほどパタヤの水掛け遊びを体験してきた僕が初めてタイの田舎でソンクラーン時期を過ごしたのは一昨年前、嫁の田舎であるペッチャブーンでのことだ。山間に佇む集落と村人たちというのんびりした田舎空間の中、この日がソンクラーンというような雰囲気はなく、とにかく毎日昼間から正月気分で飲んだくれるタイ男たちと水鉄砲やバケツ片手にそこかしこで水掛け遊びに興じる子供たちというような光景がだらだら続く。
儀式的な行いとしては家で祀っている仏像などを外に出しキレイに洗う(水を掛けて清める)、で、果物・生花などをお供えして線香を炊いて新年の御祈り。その後、近くの寺に行き坊さんに会って世間話してお供え物(食事持参)などしてお参り。また寺の敷地内(外壁など)には遺灰(骨)が納められている(埋められている)スペースがあり先祖供養(日本で言うお墓参り)~新年を迎えたという故人への報告も兼ねているようだ。そして一年で最も暑い時季に水掛け合う祭事だけあって水の精霊(ピー)への感謝と、これから始まる雨季への雨乞い(豊作祈願)というような価値観も含んでいるのだろう。(ふむ)
と、話は戻り、、去年に続き今年もパタヤでソンクラーン期間を過ごすことになった僕は13日以降~昼間の外出は極力控え、外に出たとしてもバービアがある通りは避けて、と何とか水掛けられずに18日まで凌ぎ、最終19日にようやく水掛けられに街へと繰り出してきた・・。(なんのこっちゃい)空はバカッ晴れの猛暑水掛け日和。昼過ぎ外に出ると早速近所の住民に「サワディーピーマイ~!」と声かけられ水掛けられる。各住宅の前、モトサイの拠点地、待ち伏せする人たちに手招かれバイクを停められ、粉(ベビパウダー)塗られて水掛けられる。大通りに出るとパタヤに押し寄せた車で大渋滞、そこら中から鳴り響く大音響ミュージックはぶつかり重なり合、耳障りな大騒音(爆音)と化している。人々は酒を煽り、体くねくね通り真中で踊り狂い水掛け祭りに興じている。ようやく街中まで出るとパタヤカンにバイクを停めて~ここからは歩き。派手にやっているソイ7を抜けて~ビーチロードへ。
歩行者天国となったビーチロードは南北に渡り、通りを埋め尽くす人、人、人の群れ。特設ステージ前では陽気なタイミュージックにお尻フリフリ酔いどれタイ人の群れ。そして、自然とできた流れに従うまま、南パタヤはウォーキングストリートまで行くと、軽くぷらつき、ようやく折り返し。帰りはセカンドロードを練り歩き、およそ3時間程の水掛け行進終了―。
今年はコンビニで買った酒を片手にほろ酔い加減で散策したのだが、体感温度40度近い強烈な日差しだったせいか、夕方家に帰還すると、日焼けで火照った身体はぐったりと疲れ、軽い日中症にでもなってしまったのか気だるく熱っぽい症状。そんなわけで祭り後は二日程、寝込むというオチになってしまったのだが・・。(ぐへぇ↓)ソンクラーンでは顔に粉塗られいろんな水掛けられるので、水掛け遊びに興じた御仁はその後のターデン(赤目)にもご用心!目に違和感を感じたら、即薬局へいきませう・・。それにしても日本はまだ寒いようだが、俄然うだるような猛暑が続くパタヤこの頃である。