「マイ キットゥン レ ラックン ナ キットゥン マイ バーンナ」。僕が初めてオウムのように繰り返し口にし覚えたタイ語。時が過ぎゆき、幾つもの経験を経ても尚、昨日のことのように、そして、心の奥底で静かに珠玉のごとく輝き続ける北タイのお話―。
時はバブルが崩れた90年代、有頂天だった当時の自分に襲い掛かるツケ(借金)の数々、離れゆく友人、そんな失意の暗闇の中、唯一の光だった彼女さえも去りゆき、何も見えなくなってしまった僕は逃げるように、そして、追い求めるようにバンコク行きのチケットを手にしていた。
なぜ?タイだったのか。それは10代の頃によく訪れたパタヤの人々が物凄く明るいエネルギーに満ち溢れていたのをふと思い出したからだった。もちろん海も見たかった、何処までも続く海が見たかった。そして、何より日本を離れたかったのだ。押しつぶされそうな時代と、身の回りの境遇から逃げるように―。
沈んだ気持ちの中、訪れたタイの人々はとにかく優しく感じた。言葉もしゃべれない。いや、しゃべることさえ捨ててきた自分。深夜の道端で1人ホテルも取らずにうつむいている自分を気にかけてくれる現地の人々。中には怪しい人もいたのかもしれない、でも、大多数のタイの人たちは真摯に、見ず知らずの旅行者の僕をただ心配してくれていた感覚を覚えている。
そして、パタヤに向かった。この地でも、無口な僕にこれでもかというぐらい話かけてくる南国の住人たち。いつしか孤独なはずのこの異国で孤独感が薄れていっている自分に僕は驚きを感じていた。それでも、そのときの僕は日本語ですら話したくないほど心が病んでいた。
ある日、船に乗った。パタヤ湾沖にあるラン島まで約40分のミニクルーズ。しばらくすると、沖合いの海と真っ青な空に囲まれ、僕の心は幾分安らいでいた。そして、その薄い青色に体全体が優しく包まれたとき、はっと気がついた。ふと彼女を思い出していた。どこまでも続く薄い青色のような人だった。「そうか、こんな所までも僕は彼女を追いかけてきているのか…」。心の涙は止まらなくなっていた。
ふと、隣に座っていたアメリカ人らしい老夫婦が話かけてきた。「人生いろんな事があるかも知れない。でも、私たちはこの年だからこそ保証して言える。必ず良いこともあることを…」。どうやら僕が自殺でもしかねないように見えたらしい。何だか情けなくなってきた。何の見返りもない人々の優しさに甘え、より掛かっている今の自分が。
そして、僕は大きく深呼吸をした。いや、ようやく深呼吸をすることができた。無酸素状態な日本を離れ、タイという南国の自由な空間、周りの人たちの優しい言葉、癒しの笑顔、そんな力たちに後押しされ、自然と穏やかな呼吸ができるようになっていた。そして、海から離れたいと思った。
おもむろに、タイのガイドブックを広げる。すぐ目に付いたのはタイ第2の都市チェンマイだった。北方の薔薇と呼ばれ山々に囲まれているらしい。バンコクからは飛行機で1時間ほど。そして、導かれるように僕は、翌日にはメイピンホテルという街一番のホテルにいた。ここは本当にタイ第2の都市?と疑うほど田舎な印象。ホテルの部屋からは街がすべて見渡せた。闇夜を迎えた窓外の景色の中、ひっそりと点在するピンクの明かりがちらほら見えた。ボーイに尋ねると、「ソン(グ)だ」と一言いって出ていってしまった。
荷物を解き部屋を出ると、空港から乗ってきたソンテウのおじさんがホテルの外にいた。どうやら客が少ないようで、明日、格安で街を案内してあげようと提案してきた。「一緒に食事をしないか?」。ふとおじさんを誘った僕は、どうやら1人の食事が寂しく感じられるほど回復していたようだった。
英語を片言しゃべるこのソンテウおじさん、話せば、どうやら本当にいい人みたいだ。僕がタイを訪れた理由、パタヤから来たこと、日本での彼女とのこと。美味しいタイ飯&ビールに会話は進み、小一時間もすると僕もおじさんもひとしきりいい気分になっていた。そして、おじさんはおもむろに、「じゃー行こうか!女を忘れるには女遊び、これタイの格言!」みたいな言葉を僕に投げかけてきた。
しかし、パタヤでもバンコクでも10代の頃にはよく遊んだが、それはお金で割り切る感じのSEXだけみたいで、「今の僕には、現に今回はそんな気分じゃないし」と答えると、おじさんは「ここの娘は違う。今のお前には超お勧めだヨ」みたいな事を言い始めた。明日の市内観光も安くしてくれるようだし、食事もおごってくれた。そして、「今日はガソリン代だけでいいから」なんて言う、ボル感じも全くしない優しいおじさんに僕は幾分気が緩み、「じゃ見るだけね」と、つい酔いも手伝って夜の街へ繰り出すことになった。
「街には無数の置屋がある、タイではソン(グ)というね」。「あっ、ボーイが言ってたソン(グ)って、このことか」。漆黒の闇夜にひっそりたたずむネオンライト、隠れ家のような民家。そして、おじさんに連れられるまま、20軒以上を回った。確かに驚くほど若い娘、美形な娘、妖艶な娘がそこにはいた。値段もパタヤやバンコクよりも遥かに安い。でも、そういう気分には、まだ、どうしてもなれなかった。
「じゃ、すっかり夜も更けたし、そろそろ帰ろうよ」と言う僕に対し、「街外れにもう1軒、最後にそこへ寄ってから帰ろう」と諦めないおじさん。
そして、僕は出会ってしまった。後に今の人生を送る引き金になってしまうマイという、心の奥底に悲しみを秘めた、しかし、決してそれを表には出さず、前だけを一点見つめる強い瞳を持った心の優しい女の子に。
そして、それすら救うことの出来ない情けない自分に―。
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【文提供/ビレッジK氏】
アジアをこよなく愛し、通い続けること早や30年以上。自由の地を探し求め続けるオトコ(50代)。職業は「トレジャーハンター(自称)」。国境地とか辺境地とか危険な地帯が好き。大好物はビアチャーン。心はピュアな助べえオッサン日本A代表。好きな食べ物:もぎたてアジアの果実/嫌いな食べ物:都会で売れ残った渋い果実。