今年は数十年ぶりの寒波到来とかでエジプトに雪が降り、パタヤでも年末年始は例年以上に肌寒く、しばらくはエアコンどころか扇風機すらも要らない天候が続いていたが、ここ最近ようやく熱帯らしい暑さが戻ってきた今日この頃、相変わらず反政府デモはグダグダと終焉の気配を見せない状況が続いている・・・。2014年の年が明けた1月21日からタイ政府(暫定政権)は首都バンコクと周辺県に非常事態宣言を発令、そして、先日2月2日に行われた下院総選挙では反政府デモ隊による選挙妨害と民主党の投票ボイコットにより次の段階へ移行したという流れだ。
そもそも今回のデモ騒ぎの事の発端は、去年10月に前政権の首相だったアピシット(民主党党首)とステープ元副首相に対し当時(2010年)のデモ騒ぎ鎮圧の殺人罪などで検察が起訴したこと、そして、2006年から続いているデモ、軍事クーデターに関わったタクシン派、並びに反タクシン派の双方に恩赦を与える恩赦法案をインラック政権が下院で強引に通過させたわけだが、その中にはもちろんインラックの実兄であるタクシンへの恩赦=タイ帰国というシナリオが含まれていたからである。その後、恩赦法案は上院で否決されたが、殺人罪で起訴された最大野党(民主党)の雄ステープは人民民主改革委員会(PDRC)なる団体を立ち上げ、打倒インラック政権、並びにタクシン派閥を全てタイから一掃することを標榜している。今回の反政府デモでは黒シャツを着た人々もいるようだが、もちろんバックには黄色派(反タクシン&王室擁護派)がいて、赤色派(タクシン派)との政治闘争がダラダラ何年にも渡り続いているという構図である。
そして、立場は逆だが前民主党政権時に、反政府デモを起こしたタクシン派(赤シャツ)=現政権(タイ貢献党)からすれば、当時のデモ鎮圧の際の殺人罪でアピシットとステープを起訴している以上、今回のデモ騒ぎを武力行使で制圧することは憚られる。よって、下院解散~総選挙して国民投票に委ねようという話になるわけだが、これまで民主党は選挙で全く勝てていないし、結局はタイ国民の半数以上を占める北部・東北地方(農民・低所得層)の票を買っていると言われるタクシン派政党が選挙で勝ち続け、それからまたデモが始まるという堂々巡りが長らく続いている。ただ、反タクシン派にとっては王室擁護=国軍、政財界、官僚、裁判所といった既得権益を死守しようとする強力な支配層をバック(見方)につけ、これまで軍事クーデターや裁判等でタクシン派閥を一刀に駆逐してきたという経緯があり、タイの歴史を振り返れば、議会制民主主義とは名ばかりのもので、軍事&司法クーデターで全てがひっくり返るという二重構造は歴然としている現実がある。
◆2001年~ 第一次タクシン政権
1997年のアジア通貨危機によるタイ経済危機などを背景に勝利。携帯電話事業(AIS)で財を成した実業家らしく、健康保険制度の整備(30バーツ医療)や一村一製品運動(OTOP)といった村おこし政策で地方の人々に絶大な支持を受けるが、一方、風俗店の取り締まりや麻薬一掃作戦で数千~数万人規模の強制逮捕・処刑などといった強権政治が物議を醸す。
◆2005年~ 第二次タクシン政権
選挙で圧勝して再選を果たすが、一族を重用する政治形態や不正献金、所得隠し疑惑もあり、既得権益を持つ軍、官僚、司法等から反発を受ける。そして2006年にタクシン一族の会社をシンガポールの企業に売却した際に節税の裏工作を疑われ下院解散~総選挙が行われたが野党は選挙をボイコット。後に憲法裁判所が選挙無効判決~2006年9月に軍事クーデター勃発~タクシン海外亡命へ。
◆2007年~ サマック政権(タクシン派)
2006年の軍事クーデター後、軍による暫定政権が発足し、タクシン派一掃のためタイ愛国党を解散させる。しかし、その後の選挙で再びタクシン派に担がれたサマック(国民の力党)が勝利し首相となる傀儡政権。その後2008年にはタクシン帰国、恩赦法をきっかけに反タクシン派デモ再発。軍によるクーデターは起こらなかったが、サマック(現職の首相)がテレビの料理番組に出演し報酬を得たという理由で、憲法裁判所が違憲行為と判断を下し、サマック内閣は総辞職。
◆2008年~ ソムチャーイ政権(タクシン派)
サマック内閣の総辞職後に首相へ就任するが、彼の妻はタクシンの妹という再び傀儡政権だったため、反タクシン派の民主市民連合(PAD)による首相府占拠やスワンナプーム国際空港占拠などの座り込みデモへと発展。その後、憲法裁判所により、2007年総選挙時の選挙違反を理由に国民の力党は解党処分となり、ソムチャイ政権は約2ヶ月半で崩壊。
◆2008年~ アピシット政権(反タクシン派)
2008年12月に下院で行われた首相選出選挙により、タクシン派のタイ貢献党をしりぞけ首相に選出。しかし、2010年から始まったタクシン派の反独裁民主戦線(UDD)によるデモ隊に対し国軍を投入し、武力制圧を断行。一般市民を含む多くの死傷者を出したことから強制排除に対する国民の不信感、海外からの非難も招き、解散~総選挙へ。
◆2011年~ インラック政権(タクシン派)
2011年7月の総選挙にてタイ貢献党首相候補として出馬。タイ貢献党は過半数を制して勝利し、タイ史上初の女性首相に選出される。彼女はタクシン・チナワットの実の妹である。と、、2001年のタクシン登場以来これまでの政治の流れを見ても分かるとおり、選挙をすればタクシン派が勝ち、政治権力を握り、何とか官僚や軍、司法による既得権益層に風穴を開けようと奮闘するも、結局はデモや軍事&司法クーデター(憲法裁判所)などによって駆逐されてきたという流れが続いている。そして、今現在、野党民主党とステープ率いる反政府デモ側が目論んでいるのが今回の選挙無効を憲法裁判所に訴えること、そして、タクシン派のタイ貢献党を解党へ追い込むこと、はたまた2006年時のような軍事クーデターにより、軍による暫定政権下で国民評議会を立ち上げ、公平な選挙が出来るよう憲法を改正し、タクシン派閥を一掃したいという腹積もりなのだろう。
とは言え、そう何度も同じ手が通用するとも思えないし、結局は国王の意向(仲裁)が待たれるというのが実態でもあるが、入退院を繰り返し静養中の身であられるご高齢の国王の威厳も年々弱まってきているのが悲しい現実である。では、何年も続くデモ騒動に対し、国民はどのように思っているのだろうか。確かにこれまではタクシン派のバラマキとも言われる政策の恩恵を授かり、真の民主主義だとタクシン派を支持してきた人々もようやく事の真相が見えてきた雰囲気もある。
インラック政権が始まった年、タイは数十年ぶりと言われる多雨浸水の自然大災害に見舞われた。それに対しバンコク都市部が浸水しないよう水路を無理やり塞き止めた無策に、数ヶ月に渡り汚水の中で生活し我慢してきたバンコク中北部の人々は反発した。その補償や援助がどこまで行き渡ったかは知らないが、その後、インラック政権は地方により異なっていた最低賃金(日額)を一律300バーツに引き上げた。更にマイカー減税策を打ち出し、初めてクルマを購入する人に最大10万バーツの税金を還付。
そして、コメ買取制度では市場価格の1.5倍もの高値で政府がコメを買い取ることで農村地方への支持基盤強化を図った。しかし、価格高騰により輸出競争力が著しく低下。結局はインド、ベトナムに追い抜かれタイは31年間保持してきたコメ輸出世界一から転落する結果となってしまった。現在政府が抱えている売れないコメは倉庫に眠ったままで、農家への支払いも滞っている状態。約束が違うと多くの農民たちは怒り狂い、更に制度を巡る汚職疑惑も浮上し、独立機関である汚職取締委員会が調査に乗り出しているという。多額の負債を抱えたジリ貧の状況をなんとか打開しようにも選挙管理内閣のインラック現政権下では予算編成も行えない現状。そして、選挙管理委員会は反政府の選挙妨害などで中止に追い込まれた選挙区の再投票を検討しているが議会開催に必要な数の議員を選出するまで4~6ヶ月はかかるだろうとしている。(まあ、やろうとしてもまた妨害されるだけだろうが・・)
と、何ともいろんな事象が複雑に絡まりあって、どうなることやら、もうワケが分からん状況で、果たして民主主義的な話し合いだけでは事が収まりそうな気配すら全く見えない雰囲気だが、結局は、これらがタイ政界の暗部(現実)とでも言うべきなのだろうか。ま、とにもかくにも今後は、憲法裁判所、汚職取締委員会、選挙管理委員会といった独立機関が、インラック政権(タイ貢献党)に対し、どういった対応を取るかに注目が集まるところである。そして、その対応如何では、今度は赤服軍団のデモ騒ぎなんて流れになるのかもしれない。そうなれば、お得意の軍事クーデターもあり得る話であろう。(多分)これら独立機関は、2006年の軍事クーデター後にタクシンを追放した暫定政権下(軍政)で枠組みが作られた2007年憲法によって権限が強化された経緯があるだけに、この憲法を改定しようと目論んできたインラック政権(タクシン派)は現在かなり追い込まれた状況まで来ていると思っていいのかもしれない。
果たして、タイ式民主主義の行く末とは・・・。ただ、これがアジアで唯一植民地支配を受けなかったタイの強さであり弱みであるような気もするが、世界を見渡せばいまだに自由や権利の名の元に資源を巡って紛争が起こっている現実もあり、いったい民主主義とは、資本主義とは、正義とは、人間とは、などと終着点は見つからないまま、思考は止め処なく溢れては消えゆき、ついには南国のけだるい空気にかき消されてしまうのであった・・。
2500年前に仏陀(釈迦)は悟った。全ての苦(ままならぬもの)の原因は欲、執着であると。そして、それを理性をもって制するようにと。人類の歴史などまだ大した長さではないのかもしれない。
→【外務省】 海外安全情報(タイ)
→【在タイ日本国大使館】