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タイのタンブンと占い

投稿日:2015年6月9日 更新日:

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日本の若い女性たちが大好きな占い。日本では血液型占いに12星座占い、はたまた姓名判断に手相占いなど様々あるが、タイでは生年月日と共に生まれ曜日を重要視する傾向があり、その人の性格(性質)や他人との相性などを占う際に使われる。タイの寺院(ワット)に行けば、曜日ごとの仏像が祀られタイ人は自分の生まれ曜日の仏像も拝む。昨今では子供が生まれる際に帝王切開で希望の日(曜日)に合わせて出産する人もいるようだ。信心深いタイ人ゆえの慣習ともいえるが、うちの嫁も、まさにそのタイプで常日頃から自分が見た夢に一喜一憂し、やれチョクディー(幸運)だの、マイミーチョクディー(不運)だのと口にしてはロッタリー(宝くじ)を購入したり、機会があれば何かと寺院へ参拝に行く。よく当たると噂のモードゥー(見る医者=占い師のような存在)の話を耳にすれば、わざわざ足を運ぶタチ(性質)である。

タンブン―タイ語で「徳を積む行為のこと」を指す意味合いの言葉であるが、上座部仏教に分類されるタイ仏教においては輪廻転生が信じられている節があり、現世で運(環境・境遇)に恵まれている人は前世での行いが良かったから・・。逆に現世で恵まれていないと感じている人は次に生まれ変わる来世にかけるべく、この現世で頑張って徳を積む作業=タンブンを行うといったような考え方がある。とはいえ(一般的に言えば)自分の運命だとか宿命といったものに一喜一憂し、寺に行き、生花を供え、線香をあげ、お布施するという意味合いでのタンブンとは、どちらかといえば、今現在の運の良し悪し、現世利益を求めての行いといったほうが的を得ているのかもしれない。結局は日本同様の思考で困ったときの神頼み、仏陀頼みといった雰囲気である。(多分)

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先日、タイ嫁のタンブン仲間に誘われて、有名な僧侶がいるという寺院(ワット)へ行くことになった。場所は北パタヤ(ナクルア)の先のローンポという地域にあるワット・バンラムン(Wat Banglamung)。嫁曰く、地元のタイ人はもちろんのこと、パタヤ市長やバンコクから著名人も相談に訪れるような寺で姓名判断で有名な和尚がいるという。寺に到着し、敷地内にある小さな棟へ入ると、その中には事務所(兼相談所)といったようなスペースがあり、所狭しに大小様々な仏像が安置されている。我々が着いた正午過ぎにはすでに10名程のタイ人がいた。そして、しばらくすると先客の一仕事(新車祈祷)を終えた和尚が「ふぅ~」と一息つきながら部屋に入ってきた。

一同は畏敬の念を含んだ眼差しと笑顔で和尚を迎える。ただ、僕が感じた第一印象はというと、その和尚は細見な体躯で、ギョロっとした目は幾分くぼみがち、そして特徴的な大きな前歯が2、3本、無造作に前へと突き出している。周りのタイ人たちに挨拶がてらの冗談を言い、笑う和尚の顔を見て、僕は思わずネズミ男を連想してしまった。(あだ名をつけるならネズミ坊主和尚)そして、「先程の祈祷で疲れたからちょっと休ませてくれ」と口にした和尚は、皆とたわいもない雑談を始め、、それから30分程が経つと、ようやく一同が求める人生相談タイムが訪れた・・。

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一組目は自分の名前を改名したいという20代中頃の女性とその母親。実は御年63歳になるこの和尚、過去に6つの宗派で修行した経験の持ち主で、特に姓名判断と改名で有名らしく、様々な占星術も合わせて占う未来予見を求めて和尚に会いにくる人が多いという話である。そんなわけで和尚の一挙手一投足を見守り、その言葉に周りの皆が耳を傾ける雰囲気の中、改名希望の女性は、これまでの自分の運に恵まれない過去を切々と語り、自ら考えてきた色々な名前を和尚に投げかける。そして、あーでもない、こーでもないと相談話は尽きず、結局、一組目でゆうに30分以上が経過。それでも彼女は納得のいく名前に落ち着かない様子で中々、相談を終えようとしない。和尚ははっきりした口調で本当は別に改名する必要はないのだ。ただ、もし変えたいのならと彼女に合いそうな名前を幾つか挙げていく。周りの一同はすでに聞き飽きた堂々巡り話にうんざりしたような表情を浮かべている。そして、終いにはしびれを切らせた母親が娘をなだめて半ば強引に相談が終了した。

それから、二組目、三組目と各々の相談タイムがのんびり続いていくのだが、毎回、30分以上たっぷり時間をかけて行われるため、あっという間に時間が過ぎていく。和尚が長引かせているわけではない。皆の相談、質問があれこれと止むことなく続き、和尚はそれを嫌な顔せず、彼らが満足するまで納得して自ら席を立とうとするまで延々と付き合うといったような姿勢なのである。他に用事の電話がかかってきても、目の前の相談者を優先する。それを知ってか知らずか、この機会とばかりに皆の相談事は尽きない。今やっている商売について具体的にどう改善すればいいか?自分に合っている仕事は何か?これまで異性運に恵まれないが何が原因なのか?名前が悪いのか?改名した方がいいのか?車を購入するのだが何色がいいか?子供の名前は何がいいか?何曜日に生んだらいいか?自分のラッキーナンバーは?ラッキーカラーは?などなど、そこまで聞く必要があるのかというほど、なんとまあ、細かい些細な事柄まで和尚に質問を投げかける。

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嫁の友達はずっと子供に恵まれず、すがるような気持ちでこの寺を訪れた際、和尚に「心配せんでも半年後に妊娠するよ」と予見され、実際、その半年後に子供を授かり、それからは何か相談事がある度に和尚の元を訪れているという。 それにしても、各々の質問内容は聞いていてこちらが恥ずかしくなるようなことばかりで、そんなに和尚に色々聞いて全て言う通りにするのかと突っ込みたくなるほどであるが、その辺は和尚も機転が利いている。物売りを生業としている夫婦が「商売があまり軌道に乗らない。何を売ればお金が儲かりますか?」と尋ねれば、「一度にたくさんのお金を稼ぎたいならヤーバー(麻薬)でも売ればどうかね?」。「今度の宝くじは何番が当たりますかね?」といった愚問も日常茶飯事のようで多少うんざりとした表情を見せながらも、愛想よく、時にはブラックジョークを交えながら話を受け流す。決して怒ったり、そういうバカな質問をするなといった雰囲気は微塵も見せない。

そうこうするうちにダラダラと時間は流れ、ようやく我々の順番が回ってきたのは、寺に着いて3時間が過ぎた頃だった。一通り皆の相談話を一緒に聞いていたせいかすでに僕の緊張感はどこへやら、すっかり聞き疲れてしまい、もう何でもいいから早く話を聞いて帰りたい気分になっていた。しかも、まだ僕らの後に二組も残っている。僕と嫁は皆がそうしているように、各々の氏名、生年月日、生まれ曜日、出生地、出生時刻を記入した紙を和尚の前に出し、幾ばくかのお布施をして、言葉を待つ。

そして、僕が日本人であることを確認し、記入した紙をしばらく眺めた和尚は、僕に対し、「君はもしタイ人だったら僧侶になっていたような性格だねぇ」と告げた。やはり、そうだったのか。この一言だけで僕はなぜか納得し、満足してしまった。その後、嫁も含め、今後の人生に関して色々とアドバイスの言葉をもらうと、後ろも詰まっているので、多少遠慮して、我々はものの10分程で相談終了。何か他に聞きたいことはあるか?と尋ねる和尚に、聞きたいことは特にないが、ここを訪れた記念に何か仏像かプラクルアン(ペンダント)をくれませんかと告げると、和尚はどれどれと様々ある仏像の中から、小さな木彫りの仏像を僕にくれたのだった。

というわけで、寺を後にする頃にはすでに日も暮れかかる程の長時間滞在となり、皆の悩み、相談話を一緒にたっぷり聞かされたので、どっと疲れた一日となったが、なぜか久しぶりに心が安堵し、身体はふっと軽くなり、常に頭の中に渦巻いていた人生の行方とか不安といった焦燥感が消え去り、あれこれ考えすぎても意味はない。まあ、なるようになるさ・・と、全身を後押しするパワー(気)をもらったような日となった。ふむ、僕もまだまだ俗世間の欲とか執着、現世利益にまみれているんだろうなぁ・・・。(ナモタサー、パカワトー、アラハトー、サンマー、サンプッタサー)

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【タイ写真館】―ワット・バンラムン

 

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