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男たちの南国物語 VO.39 常夏ブギ、情熱と冷静の狭間で―パタヤ生活編

投稿日:2017年12月20日 更新日:

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エルはやはり妊娠していた。まんまる膨れた彼女のお腹の中の子供は、常客の欧米人男との間にできた子供だった。それはある時期を境に何となく分かっていたことだった。エルは子供を産むつもりだという。それに僕が望むなら男と別れてもいいとさえ言った。それは男との間に生まれた子供とエルを僕が許せるのか、はたして面倒を見ていくことが出来るのか、という過酷な現実(選択)であった。

おそらくエルは僕との別れを覚悟していた。最後の告白の場所として、彼女は特別な思いを寄せていたお気に入りの店を選んで、僕を誘ってくれたのだろう。しかし、彼女の真実を知っても尚、僕の心は彼女から離れることなど出来なかった。曖昧に返答し、それでも彼女を受け入れるような態度を取ってしまった。彼女の本心が、心の奥底に潜む想いがいったい何を求め、どういう答えを導き出しているのか、僕には分かるはずもなかった。

エルはその後も僕の元を去ろうとはしなかった。

今まで溜まっていたものが一気に放出して膨れ上がり、遠慮なくその存在を主張するかのように、彼女のお腹はみるみるうちに大きくなっていった。もはや隠し切れなくなった新しい生命が僕に向けて何かを訴えかけてくるようでもあった。

エルは僕が持っていた衣服の中から、とりわけ大きなサイズのTシャツを選んで着用するようになった。やがて彼女と外出すると、周りの人々からしげしげと好奇の視線を向けられるようになった。定宿のスタッフたち、そして行きつけのバービア店で、「あらっ!あなたたち子供ができたの?いつ生まれるの?」と柔和な笑顔交じりの問いかけが僕らに投げかけられた。真実を知らない他人からの祝福の言葉に、エルは恥ずかしそうにはにかみ、僕は小刻みに速く脈打つ胸の鼓動を抑えながら、引きつった笑いを浮かべる。僕の感情は否応なく襲い掛かってくる激しい鈍痛と共に酷く揺さぶられた。

「Baby、、、My Baby、、、」

常客の男がエルに向けて送ったメッセージが何度も脳裏を過ぎっては、胸を突く。もはや心のど真ん中に深く突き刺さったままの暗澹たる想いの逃げ道はどこにもなかった。

「やっぱり俺が身を引くのが一番なんじゃないのか…。それにこのまま付き合いが続いたとしても、他人との間にできた子供を俺は本当に許せるのか?面倒をみていけるのか?しかも外国人とのハーフだぞ。俺とエルと、俺に似つかぬ欧米系ハーフ顔の子供。それって周りから見れば、嫁を売春させてるタイ人旦那みたいに勘違いされてしまうんじゃないのか。ああ、俺はいったいどうすりゃいいんだ。やはり、サヨナラすべきなのか……」

僕はあの夜の告白劇を境に、彼女との別れを少なからず意識するようになった。それがいつ訪れるのかは分からないが、そうなることがエルとお腹の子供にとって一番幸せなことなのではないか、と考えるようになった。結局、僕は後から割って入ってきた間男なのだ。間男には未来はない。間男なら何か問題事が起きれば潔く静かに立ち去らなければならない。それが筋ってもんだろう。それに常客の男からすれば僕はタチの悪い盗人のような存在なのだ。冷静に他人目線で、そう考えはしても結局、僕は自分から別れを切り出すことができなかった。それでも僕の元から去ろうとしないエルを受け入れ、刹那的に今日という日を繰り返すだけだった。

エルのお腹はすっかり妊婦そのものとでも言うように、どかんと前方に突き出すまでに大きく膨れ上がった。彼女は立ち上がるのにも一苦労するようになり、お腹の子供を手で優しくいたわり撫でながら、そのバランスをとるように後傾姿勢で立ち支えた。いつもヒョコヒョコと歩いていたのが、ゆっくりとしたガニ股で歩くようになった。

いつしか彼女からは濃厚な母性ホルモンが漂いほとばしるように溢れ出ていた。ワキガのような鼻を刺激する匂いにも慣れてしまった。目の前にある現実を支配しているのは圧倒的な母性であり、それが全てを覆い隠しているようでもあった。

僕の感情や感覚神経はそのうち麻痺し、自分の子供と錯覚するまでに変化を遂げた。ただ、母性が支配する空間を愛でるように、母親を感じさせるエルの言動に暖かな感動を覚えながら、我が身を委ねた。

AかBカップぐらいだった彼女の胸はおよそDカップほどの大きなお椀型に成長した。これも母性ホルモンのなせる業なのか。いや、それは艶かしい女性の色気をムンムン漂わせた高尚な香り、母性フェロモンである。その前で僕という人間は完全に一人の子供だった。僕は豊満に実った彼女の乳房から湧き出してくる母乳を度々口にした。

うちの兄貴が乳離れが遅かったらしく、僕は幼少時ほとんど母乳を飲まずに育ったと母親から聞いたことがある。もちろん母親の母乳を飲んでいた頃の記憶など残ってはいない。でも、だからなのか、僕は子供のように彼女の胸にむしゃぶりつき、嬉々として彼女の母乳を飲んだ。溢れ出る彼女の母性に発情し絡めとられるように彼女を抱いた。彼女は母親のように優しく暖かいオーラで僕を包み込み、全てを許し受け入れてくれた。そして、彼女は僕が浮気しないようにと心配しては愛を囁き、僕をベッドに誘った。

やがてエルは実家のあるバンコクに度々日帰りで足を運ぶようになった。どうやら子供は親元で産むことに決めているようだ。どこかの病院かクリニックにでも通っているのか、僕にはその姿を見せることはなかった。妊娠期間は十月十日というが、僕には当然初めてのことばかりで、何をどう手助け(世話)してあげればいいのやら全く分からない。それに彼女は自分が妊娠した時期を僕に知って欲しくないからなのか、今、現在が妊娠何ヶ月なのかを僕に教えることもなかった。

出産予定日が僕に知らされたのは、もう一ヶ月と出産まで間近に迫った頃だった。

それでもエルは出産ギリギリまでパタヤを離れようとはしなかった。

予定日まで残り僅かとなって、ようやく彼女は本格的な荷造りを始めた。

入院、出産、そして子育てと今後しばらくは親元での暮らしが続くことになる。彼女は僕の定宿に持ち込んでいた私物を整理し、ボストンバッグとスーツケースに入る限りの衣類や身の回り品を詰めた。クローゼットには彼女が着用しなくなった衣服が数着だけ残り、洗面所には使い古しのハブラシや化粧品、髪留めの類が置き捨てられるように残った。

大きく膨らんだ大量の荷物を手に引きながら、部屋を出て行く彼女の姿を見て、別れの予感が身体中に駆け巡った。

それは僕からの旅立ちのように感じられた。

バンコクまで車で2、3時間足らずと大した移動ではないが、身重の身体を心配して、僕はバスで帰るという彼女に付き添いバンコクまで送り届けることにした。北パタヤのバスターミナルからエカマイ行きの中距離バスに乗り込み、およそ2時間弱。バンコクのバンナー地区で降車すると、エルに連れられるまま市内バスに乗り換え、最後はモトサイバイクを利用して彼女の住まいに到着した。

バス停から小一時間ほどかかっただろうか。エルの実家は都心部からかなり離れた郊外エリアにあり、僕はそれがバンコクのどの辺に位置するのか全く分からなかった。周囲に簡素な民家がぽつぽつと建ち並ぶ住宅街に彼女の実家はあった。セメント造りの粗雑な外壁にみすぼらしい屋根を乗せただけの小さな住まいだった。

さすがに家の中までお邪魔するのは気が引けたが、エルは嫌がる僕の手を引き、玄関口へと導いた。家屋に足を踏み入れると、すぐ視界の先にタイル張りの室内の様子が窺えた。全ての部屋の概要や生活感がざっと見渡せ理解できるぐらいの手狭感だった。4畳にも満たないゴチャゴチャした台所(兼居間)スペースには地べたに小型のガスボンベ、炊飯器、食べ残した食器類などが乱雑に置かれている。うっすら暗がりの奥の部屋に蚊帳が吊ってあるのが見えて、そこから二人の中年夫婦がのっそり姿を現した。

「ポー・メー(父と母)よ」と僕に紹介するようにエルが告げる。

すぐに僕は両手を胸の前で合わせて「サワディーカップ」と両親に挨拶する。

二人は僕を一瞥すると、あからさまに怪訝な顔つきを浮かべ、再び奥の部屋へと姿を消した。

居心地の悪さを感じ、エルの部屋を少しばかり見せてもらうと、長居することなく家を出た。

明らかに僕は招かざる客人だった。

エルは両親に僕のことを友達とでも説明したのだろうか。彼女には欧米人の彼氏がいて、お腹には彼との間にできた子供がいる。当然、両親は二人がゆくゆく結婚するものだと思っていることだろう。それに欧米人の彼は僕より前にすでにここを訪れているのかもしれない。

エルの父親が僕に向けた鋭い眼差しは、僕をどこぞのタイ男か、得体の知れないアジア系の外国人としてだけ認識し、いったいこいつは何者だ?と警戒するような様相だった。その事実は僕の心中に僅かばかり残っていた淡い夢や希望をぞんざいにへし折り、ことごとく打ち砕き、エルから僕を更に遠ざけることになった。

僕は絶望にも似た悲壮感に打ちひしがれて、バンコクを後にした……。

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タイ移住生活14年間の放浪物語―フィクション50%+ノンフィクション50%=(ハーフ&ハーフ)ストーリー

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