「ガシャーーン!!」。耳をつんざくような大音響と女性の金切り声に叩き起こされた南国パタヤの早朝6時前、空がようやく青みがかった薄明かりになりそうな頃合、静寂を打ち破る物々しい音に「何事か?」とベッドを飛び出し、ドアを開けて見ると、二つ隣りの部屋で揉め事が起きている様子。大音響の正体は、怒りの形相をしているタイ人女性が入口脇のガラス窓を叩き割ったためだ。あまりのうるささにアパート下に常駐しているセキュリティーのオッサンも駆けつけた模様だが、どうやら、部屋の中にいるファラン(欧米人)男性から叩き出されたのか、中に入れてもらえないようだ。
明らかに酔いどれの彼女は、すっかりくずれた厚化粧の顔を真っ赤に高潮させながら、ドアをたたき、いや、というよりは、ひたすら殴り続け、タイ語と英語が入り混じった罵詈雑言の嵐を、壁向こうにいる彼に浴びせ続けている。それは韓流ドラマのドロドロ恋愛劇など大したことねぇなと思えるほどの壮絶さで、実況中継すれば、「ファック!」とか「アイヒア!(タイ語の罵倒語)」、「チャ・カー・ター・ナ!ネーネー(アンタ殺すよ、マジで)」といった直接的かつ超攻撃的な言葉が、マシンガンのように飛び交う殺伐とした空間である。()
そして、朝も早くから起こされてしまった周りの住人たちはと言えば、いつもの日常景色とばかりに、ただ、うんざりと、だが冷静に、目の前で繰り広げられているFIGHT!を淡々と眺めるばかりだ。「何事かねぇ」、「どっちが悪いのかねぇ」、そして、とりあえず事態を収めようと間に入る救急24時セキュリティーのオッサン。それは機嫌を損ね暴れている猛獣を手なずけようとする飼育員のように手馴れたものであるが、東北イサーンが生んだ、その娘は今や手に負えない雌ゴリラ化している。そして、ウホッウホッと部屋のドアを殴り散らし、フンガッフンガッとジャイ子のように暴れ続ける、そのタイ人女性を見ていると、起き抜けのボヤけた頭の中に、ふと昔の記憶が蘇ってきた―。
ひっそり夜も更けた静寂の中、「コツッコツッ・・」とアパートの廊下に響き渡るハイヒールの足音。「ドンドンドンッ!」と唐突にドアを殴りつける爆音。そして、居留守を決め込むと「ガシャーン!」とガラス窓を割られ、半ば強引に侵入された。そんなタイレディとの過去の格闘劇が僕の中で思い起こされた。それは昔付き合っていたタイ人女性で、僕にとっては過去最高の戦慄の記憶。狐目のようにつり上がった女の鬼の形相、無抵抗かつ血だらけの僕、駆けつけた警察、そして、野次馬な住人たち。格闘時間は過去最長記録の6時間強。あの濃密な体験(生地獄)は、僕の深層心理、心の奥底でトラウマのように生き残り続け、ふとしたきっかけで何度となく蘇る。そして、そんなとき、いつも僕は思う。
「あぁ怖い、オンナは怖い、あぁ怖い。タイ人オンナは尚怖い・・。」
と、、目の前の奇劇に話を戻そう。見るからに30歳ぐらいの雌ゴリラ化した彼女だが、その怒りの内容を野次馬ウォッチングしてみると、どうやら、男に捨てられた元彼女といった雰囲気で、男の新居(or別宅)を見つけ出し、乗り込んできたという状況のようだ。部屋内に別の女性がいるのを分かっているのか、「出て来い!殺すぞ!」とチンピラ文句で発狂を続けるレディパタヤ。そして、すっかり困り果てているのだろう、全く部屋から姿を現さないダンマリ・ファラン親父。このまま収拾がつかなくなると、だいたいタムルワット(警察)のお出ましという流れになるのだが、数分後、何とかセキュリティーのオッサンが彼女を制した。だが、場が落ち着いたはいいものの、いまだ怒りが収まらない女は、「後はこっちの問題だから」とばかりに、部屋の前に座り込み開始。「割ったガラスは後で弁償するわヨ」と、その場を離れようとはしないのであった。(恐ろしや)
外国人男性がタイ人女性と揉めてしまった場合、決着はだいたい女の言い分に傾くことが多い。それがタイ人同士の場合は、まさに男女殴り合いの惨劇になることもある。そして、ともすれば、警察の厄介になることに。もちろん女に怪我を負わせたら示談の罰金を支払わされる羽目になる。タイには男尊女卑のような価値観も確かにあるが、イザコザが起きた際は、だいたい女の意見が強くなる。それは、そうしないと収まりがつかないからである。それぐらい、タイ人女性は怒らせると恐い生き物なのである。(多分)
彼女たちは南国の天候のように、突然、姿を変える。いつも穏やかに晴れ渡っている癒しの笑顔は、突然スコールのようにドシャブリの様相に変化する。そして、四季折々、恥と我慢の文化で育ってきた日本人の我々は、そんなタイ人女性の突然変異に遭遇すると、ただただ、えも言われぬ恐怖に身を震わせるだけである。だが、怒涛のごとく吐き出された怒りのフラストレーションは、それ自体じめじめと長引くものではなく、しばらくすると、何事もなかったかのように過ぎ去り、あっという間にバカッ晴れの日常へと姿を戻す。そんな極端と極端の、単調な繰り返しなのである。(きっと)
タイでスコールに遭遇したら、歯向かうことなく、降り止むのをただ、じっと待つ。それが南国での過ごし方というものだろう。熱くなったタイ人に遭遇したら、関わることなく収まるのをただ、じっと待つ。それが異国の外国人の在り方というものだろう。
だいたい晴れ、時々、スコール。まったくタイの気象とタイ人の気性は自然の法則のようにリンクしている。そして、そんな殺伐空間をのんびりやり過ごせるようになった僕の感覚神経は、すでに南国の住人たちの価値観に支配されつつあるのかもしれない。